野村芳国 (2代目)
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二代目 野村芳国(にだいめ のむら よしくに、安政2年〈1855年〉 - 明治36年〈1903年〉11月20日)とは、明治時代の浮世絵師・画家。
注釈
出典
- ^ 岡本 1986, p. 57.
- ^ 奥平俊六「日本 : 近世 : 十 美術(一九八六年の歴史学界 : 回顧と展望)」『史学雑誌』第96巻第5号、公益財団法人史学会、1987年、181 (747)、ISSN 0018-2478、NAID 110002368902、OCLC 10.24471/shigaku.96.5_743。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 野村芳国(画)(jpeg) 『京阪名所図絵』国立国会図書館デジタルコレクション、池田房治郎、京都 。2020年7月16日閲覧。"10枚 ; 23×33-26×38cm"。
- ^ キネマ旬報 1976, p. 307.
- ^ (jpeg) 『人体道中膝栗毛』国立国会図書館デジタルコレクション 近代デジタルライブラリー、藤井浅次郎、京都、明19年12月(1886年)。doi:10.11501/882549 。2020年7月16日閲覧。"61p ; 14cm"。 インターネット公開(裁定)著作権法第67条第1項により文化庁長官裁定を受けて公開、裁定年月日: 2019/01/25。
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- ^ 豊川芳国 (1885年). “京阪名所図絵 大坂坂町慈安寺妙見堂之図”. 演劇博物館デジタル. 2020−07−16閲覧。 “「明治十八年九月十八日 午後五時死去 中寺町円妙寺」「天遊院延若日輝信士」「行年五拾四歳四ヶ月」”
- ^ “第70回企画展【実川家の役者たち】2018年12月4日–2019年3月3日”. 上方浮世絵博物館. 2020年7月16日閲覧。 “初代実川延若(天保2年1831~明治18年1885)二代目実川額十郎(入門時は延三郎)に入門し、実川延次を名乗る。安政3年(1856)、六代目市川団蔵に伴われ江戸へくだり、四代目中村芝翫に師事し中村延雀と改名。安政6年には四代目尾上菊五郎の養子となり尾上梅幸を名乗るが、文久元年(1861)には大阪へ戻り二代目額十郎の門下へ復帰し、文久3年に師の俳名である実川延若を襲名した。
(中略)上方和事の名手として幕末から明治初期にかけて人気を誇った。明治18年9月18日に病没。天遊院延若日輝信士。享年54歳
少し顎の出た顔には愛嬌があり、浮世絵にもその魅力がよく描かれている。”
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- 2 野村芳国 (2代目)の概要
- 3 参考文献
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