野口城_(飛騨国)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 野口城_(飛騨国)の意味・解説 

野口城 (飛騨国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/30 13:14 UTC 版)

logo
野口城
岐阜県
築城年 不明
主な城主 小島氏
遺構 曲輪跡、畝状竪堀群、堀切
指定文化財 国指定史跡
位置 北緯36度15分50.8秒 東経137度08分29.1秒 / 北緯36.264111度 東経137.141417度 / 36.264111; 137.141417
地図
野口城
テンプレートを表示

野口城(のぐちじょう)は岐阜県飛騨市古川町野口と袈裟丸にまたがって存在した山城である。国の史跡『姉小路氏城跡』を構成する城跡の一つ。

正確な築城時期、築城者は知られていないが、室町時代に姉小路氏ないしその家臣によって築かれたと考えられている。城は姉小路氏の支流のうち小島氏の支配領域であることから、特に小島氏の関与が考えられている[1]宮川と殿川の合流地点に近い、古川盆地の北西端にある山上に築かれた山城である。山の南側、盆地に面した尾根に主郭が設けられ、その北側と北東側の2つの尾根にも曲輪が造成されている。北側の尾根には堀切や畝状竪堀群が作られ、北側から盆地のある南側への侵攻を阻むために設計されていると考えられている[2]。曲輪には掘立柱建物の跡がみられるほか、土塁や柵列の跡も見つかった[3]

城の東側には越中方面から古川盆地へ至る街道が存在していたとみられ、その監視の役割も担っていたとみられる。出土品として多くの土師器珠洲焼、瀬戸美濃焼天目茶碗などが確認されており[4]、単なる軍事上の拠点以外の用途もあったと想定されている。

小島氏が滅びた十六世紀後半に廃城になったと考えられている[5]

脚注

  1. ^ 飛騨市教育委員会 2023 『企画展「姉小路氏城館跡と飛騨の中世」解説パンフレット』p.14
  2. ^ 飛騨市教育委員会『飛騨市文化財調査報告書16:姉小路氏城館跡』 2022年 p.173
  3. ^ 飛騨市教育委員会『飛騨市文化財調査報告書16:姉小路氏城館跡』 2022年 p.185
  4. ^ 飛騨市教育委員会『飛騨市文化財調査報告書16:姉小路氏城館跡』 2022年 p.251
  5. ^ 飛騨市教育委員会 『企画展「姉小路氏城館跡と飛騨の中世」解説パンフレット』 2023年 p.14

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  野口城_(飛騨国)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「野口城_(飛騨国)」の関連用語

野口城_(飛騨国)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



野口城_(飛騨国)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの野口城 (飛騨国) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS