近藤元久とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 近藤元久の意味・解説 

近藤元久

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/03 16:40 UTC 版)

近藤 元久(こんどう もとひさ、1885年12月15日 - 1912年10月6日)は日本の初期のパイロットで、ロサンゼルスの近郊で、事故死した。航空機の事故で死亡した最初の日本人である。

略歴

伊予松山藩士・近藤南洲の次男として大阪で生まれた。松山中学の漢学の教師をしていた叔父・近藤元弘の養子となり松山中学を卒業後、1903年に単身、渡米した。8年ほどアメリカ合衆国で暮らした後、飛行家となることをめざしてサンディエゴのカーチス飛行学校で学び、1912年4月27日、万国飛行免状を得た。カーチス飛行学校では武石浩玻とともに学んだ。カーチス飛行学校で日本海軍の山田忠治、河野三吉中島知久平の三人のカーチス水上機の実習の手伝いなどをした。飛行機を購入して帰国するための資金を稼ぐために、カーカム牽引式複葉機のテスト・パイロットとして雇われ、テスト飛行で操縦を誤り、農場の風車塔に激突し、飛行機から投げ出され塔に激突して即死した。

参考文献

  • 平木國夫『イカロスたちの夜明け』 グリーンアロー出版社 1996年



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「近藤元久」の関連用語

近藤元久のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



近藤元久のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの近藤元久 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS