趙オウとは? わかりやすく解説

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趙オウ

(趙柍 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 07:52 UTC 版)

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本来の表記は「趙柍」です。この記事に付けられたページ名は技術的な制限または記事名の制約により不正確なものとなっています。

趙 柍(ちょう おう、1115年 - 1127年4月5日)は、北宋徽宗の第25皇子(夭逝を除いて第20皇子)。

経歴

婕妤劉氏の長男として生まれた。劉氏は仙女のように美人と謳われ、徽宗に特別に寵愛された。後に安妃となり、また明節皇后諡号を追贈された。趙柍が生まれたとき、道士の林霊素は趙柍を「玉霊真裔」と、皇帝の庶出幼子としては過分な称号で呼んだ。

政和5年(1115年)9月、恵国公の位を授けられた。宣和7年(1125年)3月、建安郡王の位を授けられた。徽宗の諸若子の中で、趙柍だけは王の位を授けられた。

13歳で靖康の変軍に拉致され、靖康2年2月15日(1127年4月5日)に死去した。

家族

  • 婚約者:孔令則 - 金に連行され、完顔斜保(完顔宗翰の次男)の側室になり、1130年に趙梴(趙柍の異母兄)に再嫁した。

伝記資料

  • 『靖康稗史箋證』
  • 『宋会要輯稿』
  • 『皇子楧加恩制』



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