蒲察阿里虎とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 蒲察阿里虎の意味・解説 

蒲察阿里虎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/25 01:31 UTC 版)

蒲察 阿里虎(ほさつ ありこ、? - 1160年5月16日)は、の廃帝海陵王の妃嬪。

経歴

初め、皇族の阿虎迭(蒲魯虎の子)の正妻であった。阿虎迭の死後、皇族の南家と再婚した。南家の死後、奉国上将軍の迪古乃(後の海陵王)は美貌の阿里虎を側室として求めたが、南家の父の突葛速は拒んだ。海陵王が帝位に即くと、阿里虎は婚礼により後宮に入って賢妃に封ぜられ、また昭妃に改められた。

阿里虎は頻繁に大酒を飲み、海陵王がたしなめても止めず、寵愛が衰えた。阿里虎と前夫の南家の息子は亡父の遺物を与えられていたので、海陵王は息子を死に追いやろうとしたが、徒単皇后らの懇願で中止した。阿里虎と前夫の阿虎迭の娘である重節も美しかったので、海陵王はこれも妃とした。阿里虎は激怒し、重節を強く平手打ちした。海陵王はその後、阿里虎をかえりみなかった。

阿里虎はその後、侍女の勝哥を寵愛して同性愛関係となった。侍女の三娘の密告にもかかわらず、海陵王は罰しようとしなかったが、三娘が阿里虎に殺されると、阿里虎は海陵王の怒りを買った。勝哥は死に追いやられ、阿里虎は絶望して食を絶った。

正隆5年4月2日(1160年5月16日)、海陵王は阿里虎を絞殺させた。

子女

  • 蓬萊県主 完顔重節(阿虎迭との娘)
  • 男子(南家との子)

伝記資料




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「蒲察阿里虎」の関連用語

蒲察阿里虎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



蒲察阿里虎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの蒲察阿里虎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS