芝崎城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/27 15:13 UTC 版)
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別名 | 虫生城 |
城郭構造 | 不明 |
天守構造 | なし |
築城年 | 不明 |
主な城主 | 柴崎胤忠[1] |
廃城年 | 不明 |
遺構 | 曲輪、土塁、空堀、井戸跡 |
指定文化財 | 史跡等未指定[2] |
位置 | 北緯35度40分19.5秒 東経140度29分18.6秒 / 北緯35.672083度 東経140.488500度座標: 北緯35度40分19.5秒 東経140度29分18.6秒 / 北緯35.672083度 東経140.488500度 |
地図 |
芝崎城(しばさきじょう)は、千葉県山武郡横芝光町虫生字中城にあった日本の城[1]。
歴史
『千葉大系図』などの資料によると、匝瑳党の椎名胤光の孫であるという八郎胤忠は、小田部氏或いは柴崎氏を称しているようで、当城の周辺、岩室郷一円の領主であったことが窺える[3]。
構造
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柴崎台と呼ばれる東西に伸びる丘陵上に構えられており、現在大部分が山林となっている。山林でない部分も田畑が多く、神社としても利用されている。空堀跡については不鮮明であるが、土塁線や井戸の阯ははっきりと窺える。また、畑地などでは当時の金銭や陶器が見つかっており、この地が城郭跡であることを思わせる[1]。
脚注
- ^ a b c 伊藤一男大島雄二落合忠一君塚文雄 & 1980-2-15, p. 59.
- ^ 「歴史・伝統」横芝光町公式HP
- ^ 伊藤一男大島雄二落合忠一君塚文雄 & 1980-2-15, p. 58、59.
参考文献
- 伊藤一男、大島雄二、落合忠一、君塚文雄、午房茂行、渋谷興平、鈴木英啓、須田勉 ほか 著、平井聖、村井益男、村田修三 編『日本城郭大系』 6巻(初版)、新人物往来社、1980年2月15日。
関連項目
- 芝崎城のページへのリンク