興昌寺 (観音寺市)とは? わかりやすく解説

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興昌寺 (観音寺市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 05:38 UTC 版)

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興昌寺

境内
所在地 香川県観音寺市八幡町二丁目7番2号
位置 北緯34度8分10.648秒 東経133度39分2.370秒 / 北緯34.13629111度 東経133.65065833度 / 34.13629111; 133.65065833座標: 北緯34度8分10.648秒 東経133度39分2.370秒 / 北緯34.13629111度 東経133.65065833度 / 34.13629111; 133.65065833
山号 七宝山
宗派 臨済宗東福寺派
開基 弘法大師
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興昌寺(こうしょうじ)は、香川県観音寺市にある臨済宗東福寺派寺院

概要

開山は弘法大師で、古くは真言密教の道場であった。山崎宗鑑終焉の地で一夜庵や墓址があり、江戸時代以降多くの俳人が訪れ俳句を残している[1]。境内の背後の山である興昌寺山(標高72m)一帯にミニ霊場88カ所めぐりコースがあり一周に1時間弱を要する。地元の住民が日課として一周している人達がいて7000周した人もいるらしくスコアーボードがある。

伽藍

  • 山門:天和3年(1683年)再建
  • 本堂
  • 仏足石:天明丙午3月(1768年)刻で薬師寺(753年)のものの第6複本。観音寺市指定有形民俗文化財、
  • 一夜庵:山崎宗鑑の庵
  • 興昌寺山八十八ヶ所:1番19番24番36番38番75番88番の要所では小堂になっていて、番外阿波慈眼寺とみられるところでは岩窟になっている。19番の小堂背後からは瀬戸内海に浮かぶ伊吹島が見渡せる。最古の石仏は明和2年8(1765年)で、最新の石仏は明治2年(1870年)の43番である。
  • 興昌寺山三十三所:山中の一か所に並ぶ。
  • 不動明王堂:山中の家屋に祀られている。
  • 駐車場:山門前に無料であり。

文化財

観音寺市指定有形文化財[2]
  • 山崎宗鑑遺墨:平成15年3月20日指定
観音寺市指定史跡[2]
  • 一夜庵:享禄元年(1528年)建立、数寄屋造で日本最古の俳跡といわれる。「上は立ち中は日ぐらし下は夜まで一夜泊まりは下々の下の客」から一日以上の滞在を許さなかったことからの命名。昭和41年1月13日指定
  • 興昌寺山古墳:興昌寺山頂上、昭和45年3月12日指定

交通アクセス

鉄道
道路

脚注

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  1. ^ 興昌寺観音寺市観光協会.2021年12月1日閲覧。
  2. ^ a b 観音寺市の指定文化財一覧表観音寺市.2021年12月1日閲覧。

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