滝澤脩作とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 滝澤脩作の意味・解説 

滝澤脩作

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/13 15:39 UTC 版)

滝澤 脩作(たきさわ しゅうさく、1893年明治26年)8月25日[1][2][3] - 1958年昭和33年)7月1日[1][3][4])は、大正から昭和期の実業家政治家衆議院議員

経歴

岡山県[4]浅口郡乙島村玉島町乙島[1][2][3]玉島市乙島を経て現倉敷市[1][2]玉島乙島)で、滝澤嘉三郎の長男として生まれた[3][注釈 1]。玉島尋常高等小学校を卒業後、神戸市立工業学校で学んだ[1][2][3]

川崎造船所住友伸銅所での勤務を経て、1922年(大正11年)大阪市東成区猪飼野ボール盤製造を始めていた弟・七三郎に合流して滝澤鉄工所(現:TAKISAWA)を設立した[1][2][3]満州事変以後の工作機械需要の増大を受けて会社は発展し、1933年(昭和8年)郷里の玉島に、1935年(昭和10年)と1938年(昭和13年)には大阪の二箇所に工場を新設した[3]。また、布施市工業会長、全日本鋳物工業組合連合会理事、大阪府鉄工品工業組合理事、全日本鉄工品工業組合連合会理事、岡山県鉄工鋳物工業組合理事長などを務めた[1][2][3][4]

政界では、1940年(昭和15年)玉島町会議員に選出され、1941年(昭和16年)警防団長に就任した。1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙で岡山県全県区から日本自由党公認で出馬して当選し[5]、衆議院議員に1期在任した[4]。この選挙では選挙違反で摘発され、滝澤本人も任意で警察の取り調べを受けたが、弟・七三郎らの数人が起訴され選挙無効を免れた[2]。1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙岡山県第2区から立候補したが、選挙違反事件の影響などにより落選し[2][6]、政界を引退した[2]。その後、 滝澤鉄工所などの経営に専念した[1][2]

親族

  • 弟 滝澤七三郎(滝澤鉄工所共同経営者)[3]

脚注

注釈

  1. ^ 滝澤家は祖父の代から村議、町議を務めた旧家だったが、滝澤の幼少期には家産が傾いた。『昭和の岡山 政治と人と 中(戦後編1)』94頁。

出典

  1. ^ a b c d e f g h 『岡山県大百科事典 下』66頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j 『昭和の岡山 政治と人と 中(戦後編1)』94-97頁。
  3. ^ a b c d e f g h i 『岡山県歴史人物事典』597-598頁。
  4. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』385頁。
  5. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第22回』1337頁。
  6. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第23回』443頁。

参考文献

  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第22回』衆議院事務局、1950年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第23回』衆議院事務局、1948年。
  • 山陽新聞社編『昭和の岡山 政治と人と 中(戦後編1)』山陽新聞社、1979年。
  • 『岡山県大百科事典 下』山陽新聞社、1980年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『岡山県歴史人物事典』山陽新聞社、1994年。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  滝澤脩作のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「滝澤脩作」の関連用語

滝澤脩作のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



滝澤脩作のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの滝澤脩作 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS