渡部家「史料館」とは? わかりやすく解説

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渡部家「史料館」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/15 05:24 UTC 版)

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渡部家「史料館」

渡部家史料館(わたなべけしりょうかん)は、秋田県鹿角市にある古民家を活用した展示施設。内部を修復し、代々伝わる骨董品類などを含めて公開している。

5月から11月の間、午前10時から午後4時まで公開している。入館料は無料。ただし、一週間前までに予約が必要である。

建築学上も貴重な建物として、その筋の関係者[誰?]の注目を集めている。特に宣伝はしていないものの、今では珍しい囲炉裏(方言で「ひびど」とも)を囲んでの撮影会などが開催され、その存在が知られるようになってきた。

概要

渡部家主屋
渡部家土蔵
渡部家門

「渡部家住宅」として主屋・土蔵・門の3件が国の登録有形文化財に登録されている。

  • 登録年月日:平成18年3月27日
  • 所在地:秋田県鹿角市八幡平字石鳥谷63
  • 所有者:個人所有

主屋

  • 構造・形式等:木造2階建、茅葺(鉄板仮葺)、寄棟造、建築面積378平方メートル
  • 年代:明治24年(1891年)〔所蔵資料〕
  • 登録基準:二(造形の規範となっているもの)

渡部家は、花輪代官所の役人を勤めた在郷武士の家系をひく旧家である。

中世城館である石鳥谷館跡に位置する渡部家住宅は、その規模の大きさと上質な用材や造作に特色があり、特に、来賓用の小座敷や、坪庭を挟んで対をなす二四畳半敷きの大座敷には、槐(エンジュ)や桐がふんだんに用いられている。また、当家の記録から上棟年と大工棟梁浅利重吉が判明している。

土蔵

  • 構造・形式等:土蔵造2階建、鉄板葺、切妻造、建築面積124平方メートル
  • 年代:明治35年(1902年)〔所蔵資料〕
  • 登録基準:一(国土の歴史景観に寄与しているもの)

主屋の北東に位置する、桁行8間(約15.3メートル)、梁間4間(約7.7メートル)の中規模の米蔵で、斗代蔵(とだいぐら)とよばれている。主屋と同じ大工棟梁によって建設されたことがわかっており、外壁などは鉄板で覆われているが、内部はほぼ建築当初のままである。

  • 構造・形式等:木造、鉄板葺、間口四・七メートル
  • 年代:江戸末期
  • 登録基準:一(国土の歴史景観に寄与しているもの)

主屋の南側正面に建つ木造薬医門(やくいもん)で、鉄板葺(当初は柾葺)の切妻屋根を架けている。手前に板壁を配し、扉を設けない開放的な門で、アプローチの石段とともに屋敷地の表構えをつくる構成要素になっている。

※薬医門とは、本柱2本・控柱2本の4本の柱上に切妻屋根を架けた門のこと。棟(屋根の中心)は本柱・控柱の中間より前寄りに位置する。

外部リンク

座標: 北緯40度8分59.1秒 東経140度46分40.8秒 / 北緯40.149750度 東経140.778000度 / 40.149750; 140.778000




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