東ティモールの独立とは? わかりやすく解説

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東ティモールの独立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/13 14:40 UTC 版)

東ティモールの国旗国際連合の旗(2014年の独立記念日)

2002年5月20日東ティモールは正式に独立した[1]。東ティモールは1976年から1999年までインドネシア占領英語版され、占領下の24年間で18万人が死亡したと推定される[2]。インドネシアによる人権侵害で独立を求める抵抗運動が生じ、東ティモール独立革命戦線などが1986年にマウベレ民族抵抗評議会を結成し、1998年頃には全政党が参加した。1991年のサンタクルス事件では多数の死傷者が生じ、映像などで広く伝えられ、独立運動の転機となった[3]。ポルトガル、フィリピン、オーストラリアなどで連帯運動が勃興し、アメリカ合衆国がインドネシアへの支援を終わらせ、アメリカ軍がインドネシアから撤退した。スハルト政権が1998年5月に崩壊英語版し、ユスフ・ハビビが大統領に就任した。

ハビビは完全な独立に反対していたが、1999年8月の東ティモール独立住民投票英語版の実施を許可した。住民投票では投票者の78.5%が独立を選んだが、その前後で併合派民兵と独立派との間で紛争が生じ、東ティモール国際軍が紛争に介入した。インドネシアは1999年10月に住民投票の結果を正式に承認し、2002年の独立まで国際連合東ティモール暫定行政機構が暫定的に東ティモールを統治した。

脚注

  1. ^ East Timor celebrates becoming a nation” (英語). the Guardian (2002年5月20日). 2022年4月6日時点のオリジナルよりアーカイブ2022年4月6日閲覧。
  2. ^ “Indonesia killed 180,000 East Timorese, says report” (英語). The Irish Times. オリジナルの2023年1月31日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20230131145828/https://www.irishtimes.com/news/indonesia-killed-180-000-east-timorese-says-report-1.1004002 2022年6月8日閲覧。 
  3. ^ Human Rights Watch: Reports (December 12, 1991). “EAST TIMOR: THE NOVEMBER 12 MASSACRE AND ITS AFTERMATH”. Human Rights Watch. 24 December 2022時点のオリジナルよりアーカイブ8 June 2022閲覧。



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