村上行示とは? わかりやすく解説

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村上行示

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/05 14:59 UTC 版)

村上 行示(むらかみ こうじ、1921年8月5日 - 2011年6月20日[1])は、日本の労働運動家[2]。元全日本海員組合組合長。

経歴

大阪市生まれ。神戸高等商船学校(現神戸大学海洋政策科学部)航海科卒。新和海運出身、甲種船長[3]。1956年全日本海員組合中央執行委員[4]。1960年から1966年に教育部長を務め、機関誌『海員』の編集を担当。組合の先輩を紹介する物語を連載し、1966年に『海上労働運動夜話』(成山堂書店)として刊行した[5]。1971年6月の海員組合第30回臨時大会で組合長に選出[6]。1972年4月から7月の「賃上げ・人間性回復・合理化対策」のスローガンを掲げた92日間のストを指導[4][7]民社党員で同盟副会長(1972年1月~1981年1月)を務めたが[4][8]日本生産性本部との関係解消、政党支持自由化[注 1][2][6]全港湾など総評系組合との共闘[注 2][4][9]、総選挙での共産党候補の推薦[注 3][9][10]など海員組合の路線転換を推進した。1980年1月に「汽船部委員会で諸手当引き下げの確認書が否決された責任」をとり組合長を辞任[6]。同盟顧問[8]、日本殉職船員顕彰会理事長、同理事も務めた[11]

著書

  • 『海上労働運動夜話』(成山堂書店、1966年)
  • 『海野太郎の考え方』(村上行示、1971年)
  • 『ものがたり海員組合』(海員ジャーナル、1972年)
  • 『わが豊玉姫――村上行示詩集』(成山堂書店、1978年)
  • 『石炭だき船の青春』(日本海事広報協会、1983年)

脚注

注釈

  1. ^ 1973年11月大会決定。
  2. ^ 1975年11月大会決定。
  3. ^ 1976年1月の中執で決定、12月の大会で否決。

出典

  1. ^ 「会員異動」『海洋』第874号、海洋会、2011年10月、44頁。
  2. ^ a b デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説 コトバンク
  3. ^ 労働教育センター編『労働運動を語る――組合幹部五十人の提言』労働教育センター、1975年
  4. ^ a b c d 宮本則夫「村上行示」、現代革命運動事典編集委員会編『現代革命運動事典』流動出版、1981年、279頁
  5. ^ 村上行示「追想の教育部長時代」『海員』1991年3月号 (PDF) メールニュース 「海員だより」 2020年7月10日付 NO.20192
  6. ^ a b c 法政大学大原社会問題研究所編『新版 社会・労働運動大年表』労働旬報社、1995年
  7. ^ 海員組合スト[労]1972.4.14『社会・労働運動大年表』解説編
  8. ^ a b 同盟史刊行委員会編『同盟二十三年史 下巻』同盟史刊行委員会、1993年
  9. ^ a b ものがたり戦後労働運動史刊行委員会編『ものがたり戦後労働運動史Ⅸ――政策推進労組会議の成立から統一準備会へ』教育文化協会、2000年
  10. ^ 村上行示「総選挙で共産党も推薦〔全日本海員組合・組合長に聞く〕(この人と1時間)」『エコノミスト』1976年4月号
  11. ^ シバ編『全国各種団体名鑑 上巻』シバ、1995年



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