李栄保
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李栄保(リルンバオ、康熙13年(1674年) - 雍正元年(1723年)) は清朝の官僚。富察(フチャ)氏出身。満洲鑲黄旗の人。清初の重臣米思翰(ミシャン)の子。 世職を襲ぎ、牛録を兼管し、累進して察哈爾総管となり、のちに没した。
乾隆2年(1737年)、李栄保の娘が皇后に冊立され、これに伴い李栄保は一等公を追封された。
乾隆13年(1748年)、皇后が『孝賢皇后』の諡号を追贈され、先祖にも恩が及び、皇后の祖父米思翰が一等公に進封された。
乾隆14年(1749年)、李栄保の子である大学士傅恒(フヘン)が金川経略の功績を挙げたことにより、勅命によって宗祠が建立され、哈什屯・米思翰・李栄保が祀られた。また李栄保には 「荘愨」 の諡号が追贈された[1]。
親族
- 祖父:哈什屯(ハシトゥン)
- 祖母(嫡祖母):覚羅氏[2]
- 父:米思翰(ミシャン)
- 母(嫡母):穆溪覚羅氏、博爾済吉特氏[2][3]
- 兄弟:馬斯喀、馬斉、馬武
- 李栄保
- 妻:覚羅氏(一品夫人[2][3])
- 長子:広成(?–1764年)
- 孫:明祿
- 孫:明興
- 孫:襄勇侯 明亮(1736年–1822年)、妻は履親王允祹の第四女。
- 孫:明英
- 次子:一等襄烈伯 傅清(?–1750年)、妻は貝子弘暻の娘。
- 孫:明仁
- 孫:明義
- 三子:傅寧
- 四子:傅文
- 孫:一等男 奎林(?–1792年)
- 孫:誠嘉毅勇公 明瑞(1730年–1768年)
- 孫女:豫良親王修齢の福晋
- 孫女:順承郡王泰斐英阿の福晋
- 孫女:奉恩輔国公奇崑の嫡妻[4]
- 五子:傅寛
- 六子:傅新
- 七子:承恩公 傅玉
- 孫:明俊
- 孫女:宗室輔国公 景熠(尚虞備用処管理大臣)の妻
- 孫女:宗室 恆岳の妻
- 八子:参将 傅謙
- 孫女:貝勒永瑢の夫人
- 九子:傅恒(1720年–1770年)、妻は那拉氏、妾に李氏
- 女:孝賢純皇后(1712年–1748年)
- 女:富察氏、夫は宗室 薩喇善
- 外孫:亨賓
- 外孫:恒瑞
- 外孫:伊爾杭阿
- 外孫:恆岳
- 長子:広成(?–1764年)
出典
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