木村賢太郎とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 木村賢太郎の意味・解説 

木村賢太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 07:08 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

木村 賢太郎(きむら けんたろう、1928年4月10日 - )は、日本の彫刻家石彫による作品を多く手がけている。東京都出身。1952年、東京美術学校卒業[1]

略歴

  • 1928年 - 東京都に生まれる
  • 1952年 - 東京美術学校工芸科彫金部を修了
  • 1955年 - モダン・アート展で新人賞、今日の新人展(鎌倉近代美術館)で大原美術館児島虎次郎記念賞
  • 1956年 - 野外彫刻個展(浅草法善寺)
  • 1957年 - 今日の新人展で佳作賞、第4回サンパウロ・ビエンナーレ、集団58野外彫刻展(鎌倉近代美術館)
  • 1958年 - 現代日本美術展 優秀賞
  • 1960年 - 集団60野外彫刻展(鎌倉近代美術館)
  • 1961年 - 第1回宇部市野外彫刻展、日本国際美術展 最優秀賞
  • 1963年 - 全国彫刻コンクール応募展、世界近代彫刻日本シンポジウム
  • 1965年 - 第1回現代日本彫刻展
  • 1966年 - 第1回昭和会展で優秀賞
  • 1968年 - 第1回インド・トリエンナーレで金ノ楯グランプリ、第1回、第4回神戸須磨離宮公園現代彫刻展
  • 1969年 - 第1回現代国際彫刻展(箱根彫刻の森美術館
  • 1970年 - 日本万国美術展
  • 1973年 - 戦後日本美術の展開(東京国立近代美術館)、大阪グリーンプラザ彫刻展
  • 1974年 - 第5回中原悌二郎賞優秀賞
  • 1975年 - 第2回彫刻の森美術館大賞展
  • 1976年 - 第14回長野市野外彫刻賞
  • 1977年 - 日本の美その色とかたち(国立国際美術館
  • 1979年 - 第1回たまがわ野外彫刻展
  • 1980年 - 現代彫刻の歩み(神奈川県民ホール
  • 1981年 - 日本近代彫刻の展開(神奈川県立近代美術館
  • 1983年 - ニューヨーク・アートエキスポ
  • 1986年 - 現代彫刻センターで個展
  • 1988年 - 抽象彫刻の形成期(練馬区立美術館)、岐阜県総合体育館前庭に「どこかで会った人7」設置
  • 1989年 - 横浜山下公園に「ZANGIRI」設置
  • 1991年 - 幕張国際大通りに「よろこびII」設置
  • 1994年 - 房総の美術(千葉県立美術館

脚注

  1. ^ 木村賢太郎 -UBEビエンナーレ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  木村賢太郎のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「木村賢太郎」の関連用語

木村賢太郎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



木村賢太郎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの木村賢太郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS