明石空襲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/15 23:10 UTC 版)
明石空襲(あかしくうしゅう)は、第二次世界大戦中の1945年1月から7月にかけて、兵庫県明石市を襲った6回にわたる空襲である。日本本土空襲の1つ。明石市では一連の空襲により、県内では神戸市に次いで2番目に多い1560人の犠牲者が出た[1]。空襲は、1月19日、6月9日、6月22日、6月26日、7月7日、7月28日に発生。7月7日の空襲では、 124機ものB29が油脂焼夷弾を約70,000発(975トン)投下し、355人が死亡・市街地の63%が焼失した。
- ^ “<明石空襲を語る>「爆死した母の腕の中で生きていた妹も餓死」 孤児になった小林弘さんに聞く(アジアプレス・ネットワーク)” (日本語). Yahoo!ニュース. 2021年2月15日閲覧。
- 1 明石空襲とは
- 2 明石空襲の概要
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