成軌とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 成軌の意味・解説 

成軌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/04 14:45 UTC 版)

成 軌(せい き、? - 528年)は、北魏宦官は洪義。本貫上谷郡居庸県。

経歴

若くして宮刑を受け、宮中に入って謹直に仕え、中謁者僕射に任じられた。孝文帝の顔色をうかがって、折々にその欲しいと思うものを差し出したため、帝に気に入られた。孝文帝の南征に従って、帝に食事を出す係をつとめた。孝文帝が病床に伏せると、成軌は帝のそばに詰めて、昼も夜も休むことがなかった。孝文帝が洛陽に帰ると、帛100匹を賜った。

景明年間、僕射のまま嘗食典御丞をつとめた。中給事中・歩兵校尉に転じ、皇太子元詡に仕えるよう命じられた。515年延昌4年)、中常侍・中嘗食典御・光禄大夫に転じ、始平伯の爵位を受けた。統京染都将となり、崇訓太僕少卿に転じた。母が死去すると、成軌は辞職して喪に服し、朝廷から主書の常献景が弔慰の使者として派遣された。成軌は再びもとの官で再起用され、安東将軍・崇訓衛尉卿に進んだ。長らくを経て、典御・崇訓のまま中侍中・撫軍将軍となった。まもなく中軍将軍・燕州大中正となった。526年孝昌2年)、始平県開国伯に封じられた。孝明帝が潘嬪を寵愛するようになると、成軌は潘嬪の仮の父となり、このため宮中の宦官のあいだで畏敬されるようになった。

528年建義元年)、孝荘帝を河陰に迎え、爵位を侯に進め、衛将軍の号を受けた。この年の8月に死去した。車騎大将軍・雍州刺史の位を追贈された。は孝恵といった。

弟の子にあたる成仲慶が後を嗣ぎ、鎮軍将軍・光禄大夫となった。

伝記資料

  • 魏書』巻94 列伝第82
  • 北史』巻92 列伝第80



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「成軌」の関連用語

成軌のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



成軌のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの成軌 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS