山本安曇とは? わかりやすく解説

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山本安曇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/14 00:02 UTC 版)

山本 安曇(やまもと あずみ[1]1885年 - 1945年3月4日)は日本の鋳金美術家、本名は山本 菊一

生涯

長野県南安曇郡有明村(現・安曇野市)に生まれる。旧制京北中学卒業後、郷里の小学校で教鞭をとり、研成義塾井口喜源治の薫陶を受け、明治40年(1907年)東京美術学校(現東京藝術大学)鋳金科に入学。成績優秀で香取秀真の信望を受け、また在学中から同郷の荻原守衛(碌山)と親交を深め、その作品の鋳造に着手する。同45年(1912年)卒業。大正2年(1913年)青壺会、同7年(1918年)金人会、同13年(1924年)光爐会、同14年(1925年)工芸済々会などの結成に参加した。

昭和2年(1927年)第8回帝国美術院展(帝展)に出品した「三光(朧銀燭台)」で初入選し、同7年(1932年)帝展に「盤(果物盛器)」を出品し、審査員となる。同11年(1936年)改組後の第1回帝展に出品した「三蔵法師」が文部省の指定買上げとなり、文部省美術展覧会鑑査展に委員を委嘱されるなど、精力的に活動したが、同20年(1945年)3月4日東京大空襲で死去した[1]

脚注

  1. ^ a b 山本 安曇(やまもと あずみ) 安曇野市教育会

参考文献

  • 『長野県美術大事典』 郷土出版社、1986年
  • 北野進『美術史の残照 碌山と安曇の周辺』 出版・安曇野、2004年

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