宇文顥とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 宇文顥の意味・解説 

宇文顥

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/31 10:14 UTC 版)

宇文 顥(うぶん こう、? - 524年)は、北周宗室。邵恵公。宇文泰の兄にあたる。

経歴

宇文肱楽浪王氏王盟の妹)のあいだの長男として生まれた。母の王氏が亡くなったときには、宇文顥は哀哭すること激しく、郷党の畏敬を受けた。524年、宇文肱が衛可孤と武川鎮の南の河で戦ったとき、宇文肱は戦場で落馬して危地に陥ったが、宇文顥が数騎とともに救援し、宇文肱を馬に乗せて引き揚げた。衛可孤の騎兵の追撃を受けて、宇文顥は戦没した。561年太師・柱国大将軍・大冢宰・大都督・恒朔等十州諸軍事・恒州刺史の位を追贈され、邵国公に追封された。は恵といった。

子女

  • 宇文什肥(邵国公、高歓に殺害された、子に宇文冑がいる。宇文冑は580年に北周の第5代皇帝静帝に対して反乱を起こしたが失敗し敗北、逃走するが、楊堅に追撃、殺害された。これにより、宇文什肥の血統は途絶えた)
  • 宇文導
  • 宇文護

伝記資料




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  宇文顥のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「宇文顥」の関連用語

1
36% |||||

2
32% |||||

3
12% |||||

4
12% |||||

5
4% |||||

宇文顥のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



宇文顥のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの宇文顥 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS