孫徳昭とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 孫徳昭の意味・解説 

孫徳昭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/27 03:27 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

孫 徳昭(そん とくしょう、生没年不詳)は、末の人物。塩州五原県の人。

生涯

孫徳昭は、父の孫惟最の後を継いで、左神策軍中国語版指揮使となった。

光化3年(900年)、宦官劉季述昭宗を廃して皇太子李裕を擁立すると、宰相の崔胤中国語版は、昭宗の反正(復位)を謀り、ひそかに孫徳昭を説得するため、自らの衣服を切断してその切れ端に文字を書いて手紙をしたため、これを使者に持たせて孫徳昭へと届けた。

天復元年(901年)、孫徳昭は、出兵して劉季述・周承晦を打ち破り、劉季述らを捕えた。劉季述・王彦範は、木棍で殴打されて死に、薛斉偓は井戸に身を投げて自死した。その他、劉季述らの一味で誅殺された者は二十余人にのぼった。昭宗は復位し、孫徳昭は、その功により、同平章事静海軍節度使中国語版に任ぜられ、国姓の李姓を賜った。また、凌煙閣中国語版には肖像画が掲げられ、晩年には金吾大将軍となった。

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  孫徳昭のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「孫徳昭」の関連用語

孫徳昭のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



孫徳昭のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの孫徳昭 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS