地蔵寺 (下呂市)とは? わかりやすく解説

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地蔵寺 (下呂市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/25 01:21 UTC 版)

地蔵寺
所在地 岐阜県下呂市宮地939
位置 北緯35度46分12.0秒 東経137度17分28.7秒 / 北緯35.770000度 東経137.291306度 / 35.770000; 137.291306座標: 北緯35度46分12.0秒 東経137度17分28.7秒 / 北緯35.770000度 東経137.291306度 / 35.770000; 137.291306
山号 金錫山
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 地蔵菩薩
創建年 永禄2年(1559)
開山 禅昌寺3世仁谷智腆
開基 三木良頼
文化財 県指定:木造延命地蔵菩薩半跏像、木造地蔵菩薩坐像
市指定:絹本着色十六善神像、紙本着色大涅槃像、白隠筆書跡、宮地観音堂(清浄堂)
法人番号 5200005010647
地蔵寺
地蔵寺 (岐阜県)
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地蔵寺(じぞうじ)は岐阜県下呂市宮地にある地蔵菩薩を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は金錫山。

永禄2年(1559年)、領主の三木良頼により、禅昌寺3世の仁谷智腆を開山として建立される。本尊の延命地蔵菩薩は年代不明であるが胎内仏を有する珍しいもので、祖中という人物がその子息の菩提のために背負って行脚していたものがこの地で重たくなったため安置したものと伝わる。別名を孕み地蔵、子育て地蔵と称する。寺院の堂宇は貞享2年(1685年)と文政3年(1820年)に改築されている。明治時代に至り廃仏毀釈運動により廃寺となった中津川の雲林寺の本尊が福岡法界寺を経て当寺に至り祀られている。これら二つの地蔵菩薩は岐阜県指定の文化財に指定されている。

地蔵菩薩には内臓の病に利益があるとされ、境内には奉納されたものを含め多くの地蔵菩薩の石像があり、封じの寺として知られている。寺が管理している宮地観音堂は別称清浄堂と称し、益田三十三観音霊場の12番札所となっている。また、同じく管理下の野尻にある具足堂は同13番札所である。

参考文献

  • 岐阜県益田郡 『岐阜県益田郡誌』 p474、1937年
  • 竹原郷土史研究会 『竹原郷土史』 p233-235、1991年



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