劉興_(北海王)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 劉興_(北海王)の意味・解説 

劉興 (北海王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/26 08:16 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

劉 興(りゅう こう、生年不詳 - 64年)は、後漢皇族。北海靖王。

経歴

劉縯の次男として生まれた。26年建武2年)、魯王に封じられ、光武帝の兄の劉仲の後を嗣いだ。37年(建武13年)、魯公に降封された[1]39年(建武15年)、試みに緱氏県令を代行した。劉興は知謀に明るく、人の訴えを良く聞いたことから、名声を得た。弘農太守に転じ、やはり善政で知られた。太守として政事をみること4年、引退を願い出た。洛陽に召還されて、奉朝請とされた。43年(建武19年)、魯王に進められた[1]51年(建武27年)、はじめて魯国に下向した。52年(建武28年)、魯国が東海国に編入され、このため劉興は北海王に徙封された。

56年建武中元元年)2月、光武帝が東巡して泰山に詣でると、劉興は東嶽で参朝した[1]63年永平6年)1月、明帝のもとに参朝した[2]64年永平7年)8月戊辰[2]、劉興は死去した。

子の劉睦が後を嗣ぎ、北海王として立った。

子女

  • 北海敬王 劉睦(後嗣)
  • 臨邑侯 劉復

57年(建武中元2年)、さらに劉興の2子が県侯に封じられた。

脚注

  1. ^ a b c 後漢書』光武帝紀下
  2. ^ a b 『後漢書』明帝紀

伝記資料

  • 『後漢書』巻14 列伝第4



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「劉興_(北海王)」の関連用語

劉興_(北海王)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



劉興_(北海王)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの劉興 (北海王) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS