ヴィボルグ・アピール
(ヴィボルグの檄 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/31 17:17 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動ヴィボルグ・アピール(Выборгское воззвание, Vyborg Appeal, Vyborg Manifesto)は、1906年7月にロシア皇帝の統治下にあったヴィボルグ(現在はロシア連邦レニングラード州に属する)で、ドゥーマ(ロシアの国会)議員によって示された声明。「ヴィボルグの檄」などとも称される。
概要
1906年4月23日、皇帝ニコライ2世によって憲法(国家基本法)が発布された。その4日後にドゥーマ(国会)が開かれたが、ツァーリ政府との対立から7月上旬に解散させられた。カデット、トルドヴィキ、社会民主労働党の所属していた元議員たちはペテルブルクを離れ、フィンランド大公国(大公はロシア皇帝)のヴィボルグにあるホテルに集結した。最終的には、167人によってヴィボルグ・アピールが示され、ドゥーマの再召集まで納税、徴兵を拒否することを人民に呼びかけた。ただし、中産階級を支持層とするカデットでは、この声明をめぐって各地で意見をまとめられないなど、実際の影響は限定的なものとなった。
参考文献
- 和田春樹ら編 『世界歴史大系 ロシア史2』 山川出版社、1994年
外部リンク
- ヴィボルグ・アピール(ロシア語)
- ヴィボルグ・アピールのページへのリンク