ヴァシーリー・アレクサンドロヴィチとは? わかりやすく解説

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ヴァシーリー・アレクサンドロヴィチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/12/14 13:53 UTC 版)

ヴァシーリー公、1922年

ヴァシーリー・アレクサンドロヴィチ(Василий Александрович, 1907年7月7日 - 1989年6月23日)は、ロシアの皇族。ニコライ1世の曾孫、アレクサンドル3世の外孫。

ヴァシーリーはアレクサンドル・ミハイロヴィチ大公とその妻クセニヤ・アレクサンドロヴナ大公女の間の第七子、六男(末子)としてガッチナ宮殿で生まれた。皇帝アレクサンドル3世の外孫であったが、男系血統ではニコライ1世の曾孫でしかないため、兄たちと同様にロシア大公の称号を許されなかった。ロシア革命後、ヴァシーリーは両親や兄姉、祖母マリヤ・フョードロヴナ皇太后らの皇族とともにクリミアに監禁された。クリミアに集められた皇族たちは、皇帝一家と同様に処刑される予定だったが、1918年にドイツ軍によって解放された。ヴァシーリーは翌1919年、一族とともにイギリス政府の差し向けた戦艦「マールバラ」に乗ってイギリスに亡命した。

ヴァシーリーは母とともにイギリスで暮らしたが、1920年代には単身でアメリカ合衆国に移住した。ヴァシーリー公はキャビン・ボーイ、造船工、株のブローカー、ワイン造醸業者、養鶏業者など職を転々とした。1980年、ヴァシーリーは兄ドミトリー・アレクサンドロヴィチ公からロマノフ家協会の総裁職を引き継ぎ、終身でその任にあった。ヴァシーリー公は1989年、カリフォルニア州ウッドサイドで亡くなった。

子女

ヴァシーリーは1931年、ニューヨークで亡命ロシア人貴族のナタリヤ・ゴリツィン公爵令嬢(1907年 - 1980年)と結婚した。夫妻は娘を一人もうけた。

  • マリヤ(1940年 - )…1967年、ウィリアム・ビードルストンと結婚




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