ワシントン・ナショナルズ (1872年)とは? わかりやすく解説

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ワシントン・ナショナルズ (1872年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/16 19:13 UTC 版)

ここでは1872年アメリカ合衆国ワシントンD.C.で活動していた、ワシントン・ナショナルズWashington Nationals)について記述する。

球団史

創設~プロ化以前

ワシントンD.C.では、1859年ホワイトハウスの職員で構成された「ポトマック・クラブ」と「ナショナルズ」という2つのチームが結成された。両チームはホワイトハウスの裏庭で練習をし、交流試合もしていたのだが、当時はポトマック・クラブの方が実力があり、ナショナルズはことごとく敗れていた。その後南北戦争の勃発に伴いポトマック・クラブが消滅するが、ナショナルズは熱心なワシントンの野球ファンの要望にこたえチームを存続させた。

1865年には当時の強豪チームだったフィラデルフィアのアスレチック・クラブと、ブルックリンのアトランティック・クラブを招待し試合を行っている。両試合とも大敗したナショナルズだったが、6000人もの観客を集めた。1866年からはフィラデルフィアやニューヨークのクラブと対戦する巡業も行うようになり、翌1867年7月に行った巡業では、ロックフォードのフォレストシティ・クラブ(後のロックフォード・フォレストシティーズ)に敗れたものの、プロ化する前のシンシナティ・レッドストッキングス(同年レッドストッキングスが敗戦したのはこの試合だけである)に勝利するなど、9勝1敗の成績を残した。

プロ化以降

1871年にプロの野球リーグ「ナショナル・アソシエーション」が誕生した際、ワシントンD.C.からリーグに加盟したのは新たに結成されたワシントン・オリンピックスの方だった。ナショナルズは1872年に、オリンピックスの後を追ってリーグに加盟。監督には当時21歳だったジョー・ミラーを起用し、前年オリンピックスの控え投手だったビル・ステアーンズを加入させて臨んだ。しかし戦績は0勝11敗で、プロのリーグでは一度も勝利することなくチームは破綻してしまう。同年オリンピックスの方は2勝を挙げているが、2勝ともナショナルズから挙げたものである。

戦績

年度 リーグ 試合 勝利 敗戦 勝率 順位 監督 本拠地
1872年 NA 11 0 11 .000 11位 ジョー・ミラー Nationals Grounds

所属した主な選手

  • ポール・ハインズ:打率・打点・本塁打の打撃三冠を史上初めて獲得した選手。
  • ビル・ステアーンズ:前年にオリンピックスから移籍、11試合全てを投げた。

主な球団記録

  • 最多安打:15(ホリー・ホリングスヘッド)
  • 最多打点:9(ジョー・ドイル)

関連項目

出典・外部リンク



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