ルキウス・パピリウス・ムギッラヌス (紀元前444年の補充執政官)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ルキウス・パピリウス・ムギッラヌス (紀元前444年の補充執政官)の意味・解説 

ルキウス・パピリウス・ムギッラヌス (紀元前444年の補充執政官)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/13 15:32 UTC 版)


ルキウス・パピリウス・ムギッラヌス
L. Papirius Mugillanus[1]
出生 不明
死没 不明
出身階級 パトリキ
氏族 パピリウス氏族
官職 補充執政官(紀元前444年)
ケンソル(紀元前443年)
テンプレートを表示

ルキウス・パピリウス・ムギッラヌスラテン語: Lucius Papirius Mugillanus、生没年不詳)は共和政ローマ政務官紀元前444年に補充執政官を務めた。また一説によると共和政ローマ初のケンソルでもある。

経歴

補充執政官

紀元前444年、共和政ローマ初の執政武官として3人が選出されたが、選挙の不備によって就任3ヶ月で全員辞職することとなった[2]。辞任後は補充執政官が立てられることとなり、ティトゥス・クィンクティウス・カピトリヌス・バルバトゥスインテルレクスを務める間に、ムギッラヌスは同僚のルキウス・センプロニウス・アトラティヌスと共に選出されたという[3]

執政武官の辞任後、この前年の紀元前445年に離反していたアルデアから和平交渉の使者がきていた[4]。補充執政官となった二人はアルデアとの協定更新に調印したという。リウィウスによると、ムギッラヌスら補充執政官の名前はどの年代記にも名簿にもなかったといい、リキニウス・マケルがこのアルデアとの協定文書と、モネータ神殿に保管されていた公文書に彼らの名前を見つけたとする説を紹介している[5]ディオニュシオスもこの年の記録は執政武官と執政官と、どちらかしか書いてないか、両方書いてあるかマチマチであるとし、ある神聖な記録を根拠におそらく両方いたのであろうとしている[6]

ケンソル

紀元前443年も執政官制となり、ベテランの二人が選出された。しかし執政官2人は対外政策に忙しく、長年ケンスス (戸口調査) が行われていないことが問題となっていた。そのため、元老院はケンススを専門に行う職の新設を決定した。ケンススは最後にルーストルム (清めの儀式) を行う必要があり、いまだプレプス(平民)では神聖な儀式を行うことが出来ない[注釈 1]ため、必然的にパトリキ(貴族)の役職が増えるからである。こうして、新たな職には前補充執政官のムギッラヌスとアトラティヌスが選出され、ケンススを行うのでケンソル (監察官) と呼ばれた。リウィウスは、彼らが補充執政官となったかは疑問の余地はあるが、執政官の任期の埋め合わせ[注釈 2]となったことは間違いないとしている[8]。ディオニュシオスによれば、紀元前459年に行われた10回目のルーストルム[9][注釈 3]から17年間ケンススが行われていないため、執政官が提言したとされる[10]。また、キケロは『縁者・友人宛書簡集』の中で、かつて今よりも小さかったがパトリキであったパピリウス氏族がおり、その初代がルキウス・パピリウス・ムギッラヌスで、ローマ建国紀元312年にルキウス・センプロニウス・アトラティヌスと共にケンソルを務めた。その頃はパピシウスと呼ばれていた、と記している[11]。彼らは11回目のルーストルムを行った[12]

しかしながら、モムゼンベロッホらはこのケンソルを疑っており、ロイツニルソンといった肯定的な研究者は、執政武官制度とケンソルの新設を結びつけて考えている[13][注釈 4]

注釈

  1. ^ プレプスに神官職が解放されるのは紀元前300年オグルニウス法まで待たねばならない[7]
  2. ^ 執政官の任期は通常1年。補充執政官として前執政武官の任期を引き継いだためそれに満たなかった
  3. ^ 117,319人が市民登録された
  4. ^ 記録ではしばらくケンソルと執政武官の区分があいまいで、このケンソルの任期がおそらく一年未満であり、次回の紀元前435年カンプス・マルティウスに施設が建てられ、任期が一年半となるなど形式が整った

出典

  1. ^ Broughton, p. 53.
  2. ^ リウィウス, 4.7.1-3.
  3. ^ リウィウス, 4.7.7-10.
  4. ^ リウィウス, 4.7.4-7.
  5. ^ リウィウス, 4.7.11-12.
  6. ^ ディオニュシオス『ローマ古代誌』11.62.3
  7. ^ Broughton, p. 172.
  8. ^ リウィウス, 4.8.
  9. ^ リウィウス, 3.24.10.
  10. ^ ディオニュシオス『ローマ古代誌』11.63
  11. ^ Cicero, Epistulae ad Familiares, 9.21
  12. ^ de Boor, p.3.
  13. ^ Broughton, p. 54.

参考文献

関連項目

公職
先代
執政武官
アウルス・センプロニウス・アトラティヌス
ルキウス・アティリウス・ルスクス
ティトゥス・クロエリウス・シクルス
紀元前444年
補充執政官
同僚:ルキウス・センプロニウス・アトラティヌス
紀元前444年
次代
執政官
マルクス・ゲガニウス・マケリヌス II
ティトゥス・クィンクティウス・カピトリヌス・バルバトゥス V
先代
紀元前459年 X
ケンソル
同僚:ルキウス・センプロニウス・アトラティヌス
紀元前443年 XI
次代
ガイウス・フリウス・パキルス・フスス
マルクス・ゲガニウス・マケリヌス
紀元前435年 XII



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  ルキウス・パピリウス・ムギッラヌス (紀元前444年の補充執政官)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ルキウス・パピリウス・ムギッラヌス (紀元前444年の補充執政官)」の関連用語

1
ムギッラヌス家 ウィキペディア小見出し辞書
100% |||||

2
紀元前5世紀 ウィキペディア小見出し辞書
100% |||||

3
パピリウス氏族 百科事典
74% |||||

4
18% |||||

検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ルキウス・パピリウス・ムギッラヌス (紀元前444年の補充執政官)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのルキウス・パピリウス・ムギッラヌス (紀元前444年の補充執政官) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS