ルキウスゲヌキウスクレプシナとは? わかりやすく解説

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ルキウス・ゲヌキウス・クレプシナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/22 02:51 UTC 版)

ルキウス・ゲヌキウス・クレプシナ
L. Genucius L.f. L.n. Clepsina
出生 不明
死没 不明
出身階級 プレブス
氏族 ゲヌキウス氏族
官職 執政官(紀元前271年)
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ルキウス・ゲヌキウス・クレプシナラテン語: Lucius Genucius Clepsina、生没年不詳)は紀元前3世紀初頭の共和政ローマの政治家・軍人。紀元前271年執政官(コンスル)を務めた。

出自

プレブス(平民)であるゲヌキウス氏族の出身。父も祖父もプラエノーメン(第一名、個人名)はルキウスである。紀元前276年紀元前270年の執政官ガイウス・ゲヌキウス・クレプシナは兄弟と思われる。またコグノーメンは異なるものの、紀元前303年の執政官ルキウス・ゲヌキウス・アウェンティネンシスが父である可能性がある。クレプシナのコグノーメンが確認できるのはこの兄弟だけであり、後のゲヌキウス氏族にクレプシナを名乗る人物はいない。

経歴

紀元前271年、クレプシナは執政官に就任。同僚執政官はカエソ・クィンクティウス・クラウドゥスであった[1]。リウィウスの要約ではこの年に、レギウム(現在のレッジョ・ディ・カラブリア)のカンパニア兵が反乱したが鎮圧され、またピケンティアと平和条約が結ばれたとするが、ルキウスの役割は不明である[2]。但し、ハリカルナッソスのディオニュシオスは、レギウムの反乱鎮圧は翌紀元前270年の出来事としている[3]。ルキウスが作戦を開始し、兄弟のガイウスに引き継いだ可能性もある。

脚注

  1. ^ カピトリヌスのファスティ
  2. ^ リウィウス『ローマ建国史』、 XV(要約)
  3. ^ ディオニュシオス『ローマ古代誌』、XX, 16

参考資料

  • ティトゥス・リウィウスローマ建国史
  • カピトリヌスのファスティ
  • ハリカルナッソスのディオニュシオス『ローマ古代誌』
  • Hans Georg Gundel : Genucius 14. In: The Little Pauly (KlP). Volume 2, Stuttgart 1967, Sp. 748.
  • T. Robert S. Broughton : The Magistrates Of The Roman Republic. Volume 1: 509 BC - 100 BC (= Philological Monographs Vol. 15, Part 1, ZDB- ID 418575-4 ). American Philological Association, New York NY 1951, p. 198, (Unchanged reprint 1968).

関連項目

公職
先代:
ルキウス・パピリウス・クルソル II
スプリウス・カルウィリウス・マクシムス II
執政官
同僚:カエソ・クィンクティウス・クラウドゥス
紀元前271年
次代:
ガイウス・ゲヌキウス・クレプシナ II
グナエウス・コルネリウス・ブラシオ I



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