ラルフ・トッドとは? わかりやすく解説

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ラルフ・トッド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 02:31 UTC 版)

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ラルフ・トッド
Ralph Todd
ラルフ・トッド作『カンペールの干し草作り』(1882)
生誕 1856年
ロンドン
死没 1932年6月28日
イギリス、Devoran
運動・動向 ニューリン派

ラルフ・トッド(Ralph Todd 、1856年 - 1932年6月28日)はイギリスの画家である。イングランドのコーンウォールの漁村ニューリンに集まった画家たち「ニューリン派」の画家の一人である。油彩画、水彩画を描いた。

略歴

ロンドンで生まれた[1]。「ニュー|リン派」の画家の多くと同じように、ベルギーのアントウェルペン王立芸術学院などでで学び、1882年からブルターニュカンペールで活動した。「ニューリン派」の中心的な存在となるスタンホープ・フォーブスとカンペールの同じホテルに滞在したことから友人となり、数か月、ともに活動した。1882年からウォルター・ラングレーエドウィン・ハリスが住み始めていたコーンウォールの漁村ニューリンに1883年に移り、その後トーマス・クーパー・ゴッチや、スタンホープ・フォーブスらもニューリンに住み始め、「ニューリン派」と呼ばれる、芸術家の集団が形成された。1888年に結婚し、画家となるアーサー・ミドルトン・トッド(Arthur Middleton Todd)らが生まれた。

トッドは1890年代半ばに、ニューリンを離れ、コーンウォールのセント・ケバーンに住居を移すが、ニューリンにフレデリック・ミラード(Frederick Millard)と共同のスタジオを持ち続けた。その後、コーンウォールのヘルストンに移った。

ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツやイギリス王立芸術家協会(Royal Society of British Artists)、イギリス王立水彩画家協会(Royal Institute of Painters in Water Colours)などの展覧会に出展した。

コーンウォールのDevoranで死去した[1]

作品

脚注

  1. ^ a b Ralph C TODD cornwallartists.org 2020年8月閲覧

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