ヨーゼフ・ベネディクト・エングルとは? わかりやすく解説

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ヨーゼフ・ベネディクト・エングル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/11 00:40 UTC 版)

ヨーゼフ・ベネディクト・エングル
Joseph Benedikt Engl
エングルによるワイン会社のポスター
生誕 (1867-07-02) 1867年7月2日
オーストリア、シャルモース(Schallmoos)
死没 1907年7月2日(1907-07-02)(40歳没)
ドイツ、ミュンヘン
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ヨーゼフ・ベネディクト・エングル(Joseph Benedikt Engl、1867年7月2日[1] - 1907年8月25日)は、オーストリア生まれのドイツの漫画家、イラストレータである。

略歴

ザルツブルク近くのシャルモース(Schallmoos)に生まれた[2]。父親はバイエルン王国鉄道(Bayerische Staatseisenbahnen)の機関士で母親はオーストリア人であった。少年と青年時代はミュンヘンで育った。2年ほど版画家の見習いをした後、1885年からミュンヘン王立工芸学校(Königliche Kunstgewerbeschule München)で学び、デザイナーとして働くようになり、1888年には雑誌「Automobil- und Radfahrer-Humor」などの人気のある雑誌の出版社に入社した[1] 。1894年に絵入りユーモア雑誌「Fliegende Blätter」に最初のイラストが掲載された。1896年からは、アルベルト・ランゲンがミュンヘンで創刊した風刺新聞「ジンプリチシムス」で働いた。「ジンプリチシムス」ではトーマス・ハイネやフェルディナント・フォン・レズニチェク(Ferdinand von Rezniček)、ルドルフ・ヴィルケ、オラフ・グルブランソン(Olaf Gulbransson)といったイラストレーターたちも働いたが、主要な挿絵画家のうちミュンヘン育ちであったのはエングルだけであった[1]

兵役中の事故の影響から、除隊後、ミュンヘンで40歳で亡くなった。

1890年頃、エングルはマルガレーテ・フリッツマン(1869-1917)と結婚した。同名の息子のヨーゼフ(Joseph Benedict „Jo“ Engl: 1893-1942)は発明家になり、映画フィルムのい音声を記録する技術を開発したグループの一人となった。

作品

脚注

  1. ^ a b c Gisela Vetter-Liebenow (Hrsg.), Monika Herlt (red. Mitarb.) et al.: Die Stamm-Zeichner des „Simplizissimus“. In dies.: Jubiläumsausgabe Simplizissimus, Begleitheft zur Ausstellung Simplizissimus 1896–1944 vom 19. Mai bis 28. Juli 1996, Hannover: Wilhelm-Busch-Museum Hannover – Deutsches Museum für Karikatur und kritische Grafik. 1996, S. 6 u.ö.
  2. ^ Atelier: Theresienstraße 134

参考文献

  • Albert Langen (Hrsg.): Hundert Zeichnungen und Witze von J. B. Engl. München 1911 (Neuauflage: Kaut-Bullinger & Co., München 1990).
  • Benno Hubensteiner: Der Zeichner Josef Benedikt Engl. Pflaum, München 1958.
  • Franz Freisleder: Aufs Maul und ins Herz geschaut. Illustrationen von J.B.Engl. Rosenheimer Verlagshaus, Rosenheim 1976.
  • Engl, Josef Benedikt. In: Rudolf Vierhaus (Hrsg.): Deutsche Biographische Enzyklopädie. 2., überarbeitete und erweiterte Auflage. Band 3: Einstein–Görner. De Gruyter, Berlin 2006, ISBN 3-11-094655-6, S. 88 (books.google.de – eingeschränkte Ansicht).
  • Siegfried Weiß: Joseph Engl, Max-Abitur 1912: Physiker und Tonfilm-Pionier. In: Vereinigung der Freunde des Maximiliansgymnasiums (Hrsg.): Foto-Jahrbuch 2017. Bericht über das Schuljahr 2016/2017. S. 63–69 (Abb.).



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