ヤコブス・ワーベンとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ヤコブス・ワーベンの意味・解説 

ヤコブス・ワーベン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/12 00:00 UTC 版)

ヤコブス・ワーベン
Jacobus Waben
ヤコブス・ワーベン作の寓意画(1622年)
生誕 1575年頃
アルクマール
死没 1641年頃
ホールン

ヤコブス・ワーベン(Jacobus Waben、1575年頃 - 1641年頃)は、オランダの画家である。おもにオランダ西部の港町ホールンで肖像画家、風俗画家として働いた。

略歴

現在の北ホラント州アルクマール(Alkmaar)で生まれた。父親は傭兵隊(Waargelder)の軍人であった。1575年頃の生まれとされるが1585年頃という説もある。

絵を誰から学んだかは知られていない。1609年頃、ホールンに移った。1610年頃には、画家として働いていたとされるが、父親と同じく傭兵としても働いていて士官を務め、1637年には軍人としてブリーレ(Brielle)に移動した。1610年にはホールンで生まれた息子の洗礼の記録があり、また1617年、1621年、1633年の3度、ホールンで結婚した記録がある。知られている中で最も古い作品は、1611年に描かれたアルクマールの市長の肖像画である。

画家として最も活躍したのは1620年から1630年の間で、オランダ東インド会社総督を務めたヤン・ピーテルスゾーン・クーンとその妻の結婚肖像画[1]を含むホールンの有力者やその家族の肖像画や風俗画を描いた[2]。少なくとも1634年までホールンで画家として働いた[3]。正確な死亡日も不明であるが、1641年から1642年の間とされている。

ワーベンの作品の多くがホールンの博物館(Westfries Museum)に残されている。

作品

参考文献

  1. ^ Fris, Agathe (2013). Het Hoornse gerechtigheidspaneel. Oud Hoorn 35e (2): p 74-82.
  2. ^ in voor- en tegenspoed. Westfries Museum. Geraadpleegd op 21 november 2020.
  3. ^ Fris, Agathe (2013). Het Hoornse gerechtigheidspaneel. Oud Hoorn 35e (2): p 74-82.



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  ヤコブス・ワーベンのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ヤコブス・ワーベン」の関連用語

ヤコブス・ワーベンのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ヤコブス・ワーベンのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのヤコブス・ワーベン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS