ミハイル1世_(キエフと全ルーシの府主教)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ミハイル1世_(キエフと全ルーシの府主教)の意味・解説 

ミハイル1世 (キエフと全ルーシの府主教)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/02 06:26 UTC 版)

ミハイル1世Михаил II , ? - ?)はキエフと全ルーシの府主教(在位:1130年-1146年)。ビザンツ出身。比較的後代に作成された年代記や文書では、10世紀にミハイルという名の府主教がいたとされるが、これは立証されておらず、ここでは12世紀のミハイルを1世とした。

経歴

コンスタンティノープルで叙聖された後、1130年夏にキエフに到着した。

1134年から1135年にかけて、諸公間紛争に巻き込まれ、投獄された。

1145年にはコンスタンティノープルにおり、それ以降、ルーシへの帰国を拒絶した。1146年8月のキエフ大公イジャスラフ2世の即位の時にはキエフにいなかった。このことがルーシ独自の新府主教の選出にいたる原因になった。


先代
ニキータ
キエフと全ルーシの府主教
1130年 - 1146年
次代
クリメント(クリム)



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ミハイル1世_(キエフと全ルーシの府主教)」の関連用語

ミハイル1世_(キエフと全ルーシの府主教)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ミハイル1世_(キエフと全ルーシの府主教)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのミハイル1世 (キエフと全ルーシの府主教) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS