マーン・シング・トーマラとは? わかりやすく解説

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マーン・シング・トーマラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/02/14 14:23 UTC 版)

マーン・シング・トーマラ(Man Singh Tomara, 生年不詳 - 1516年)は、北インド、グワーリヤル王国(トーマラ朝)の君主。

生涯

1486年、父カリヤーン・マル・トーマラの後を継ぎ、グワーリヤルの支配者となった。

ときにローディー朝が北インド支配していたが、グワーリヤルはそれに対抗しうる勢力の一つでもあった。しばしば、ローディー朝と対立したアフガン人の族長がこの国に逃げ込み、マーン・シングは彼らを匿った[1]。 そのため、シカンダル・ローディーは1509年までにグワーリヤルを城砦で取り囲んだが、それでもグワーリヤルを落とすことはできなかった[2]

1516年、マーン・シングは死亡し、息子のヴィクラマーディティヤ・トーマラがその後を継いだ。

マーン・シングは文武ともに優れた君主であった。また、音楽のパトロンでもあり、ターンセーンもその保護下にあった。

脚注

  1. ^ ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.156
  2. ^ ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.157

参考文献

  • フランシス・ロビンソン; 月森左知訳 『ムガル皇帝歴代誌 インド、イラン、中央アジアのイスラーム諸王国の興亡(1206年 - 1925年)』 創元社、2009年 

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