マティルド・ド・ブルゴーニュ_(1150-1192)とは? わかりやすく解説

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マティルド・ド・ブルゴーニュ (1150-1192)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/08 00:06 UTC 版)

マティルド・ド・ブルゴーニュ
Mathilde de Bourgogne

出生 1150年
フランス王国フォントヴロー
死去 1192年2月6日
フランス王国フォントヴロー修道院
埋葬 フランス王国フォントヴロー修道院
配偶者 イスーダン領主ウード2世
  ヌヴェール伯ギー
  ピエール・ド・フランドル
  ドルー伯ロベール2世
子女 ギヨーム5世
アニェス
イド
シビーユ
家名 ブルゴーニュ家
父親 グリニョン伯レーモン・ド・ブルゴーニュ
母親 モンパンシエ女領主アニェス・ド・ティエール
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マティルド・ド・ブルゴーニュフランス語:Mathilde de Bourgogne, 1150年 - 1192年2月6日)またはマオー・ド・ブルゴーニュ(Mahau de Bourgogne)は、ブルゴーニュ家出身のフランス貴族の女性。

生涯

マティルドはグリニョン伯およびイスーダン伯レーモン・ド・ブルゴーニュ(1125年 - 1156年6月28日)とモンパンシエ女領主アニェス・ド・ティエール(1130年頃 - 1227年、1145年頃結婚)の娘として、フォントヴローで生まれた[1]。父レーモンはブルゴーニュ公ユーグ2世の息子で、マティルドの伯父はブルゴーニュ公ウード2世、従兄弟はユーグ3世である。

1165年にイスーダン領主ウード2世(1167年没)と結婚したが、ウード2世は結婚の2年後に死去した。

1168年ごろにヌヴェール伯ギーと結婚し、以下の子女が生まれた。

1175年、フランドル伯ティエリー・ダルザスシビーユ・ダンジューの三男ピエール(1140年頃 - 1176年8月3日)と結婚した。ピエールは若年でカンブレー司教とされていたが、1175年にマティルドと結婚するため司教位を退いた。2人の間には1女が生まれた。

  • シビーユ(1176年頃 - 1236年)[1]

1178年にドルー伯ロベール2世と結婚したが、1181年に離婚した[2]

マティルドは1192年にフォントヴロー修道院で死去し[1]、同修道院に埋葬された。

脚注

  1. ^ a b c d Mathilde de Bourgogne”. mount-royal.ca. 2017年5月10日閲覧。
  2. ^ Mathilde de Bourgogne”. gw.geneanet.org. 2023年7月21日閲覧。



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