マティルデ・フォン・ザクセン (979-1025)
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マティルデ・フォン・ザクセン(ドイツ語:Mathilde von Sachsen, 979年夏 - 1025年11月4日)は、神聖ローマ皇帝オットー2世とテオファヌの三女。
- ^ Thietmar of Merseburg, p. 194.
- ^ Schwennicke, Europäische Stammtafeln Band I.1 (2005) Tafel 10 および Band I.2 (1999), Tafel 201.による。『genealogie-mittelalter.de』にあるように「Aeccheze」をエッシュ=シュル=シュールとするのは間違いであると考えられる。マティルデは11月4日に死去し、同月7日に埋葬されている。エッシュ=シュル=シュールからブラウヴァイラーまでは180kmあり、当時は3日ではたどり着けないからである。デューレン=エヒツからブラウヴァイラーまでは40kmである。義弟ツュルピッヒガウ伯ヘルマンの居所としてもエヒツの方がふさわしい。『Lexikon des Mittelalters』でも「Aeccheze」をエッシュとしているが、それがどこのエッシュなのかは明記されていない。
- 1 マティルデ・フォン・ザクセン (979-1025)とは
- 2 マティルデ・フォン・ザクセン (979-1025)の概要
- 3 参考文献
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