マイケル・アンジェロ・ルーカーとは? わかりやすく解説

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マイケル・アンジェロ・ルーカー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/18 20:11 UTC 版)

マイケル・アンジェロ・ルーカー
Michael Angelo Rooker
ルーカー作「The Gatehouse of Battle Abbey, Sussex」
生誕 1746年か1743年
ロンドン
死没 1801年3月3日
ロンドン

マイケル・アンジェロ・ルーカー(Michael Angelo Rooker ARA、1746年[1] か1743年[2]生まれ、1801年3月3日没)はイギリスの画家、版画家である。建物の絵や風景画を油彩や水彩で描いた。版画家として書籍の挿絵や版画も制作した。

略歴

ロンドンで生まれた。父親のエドワード・ルーカー(Edward Rooker: c.1712-1774)は版画家で、ルーカーは父親から版画を学んだ。ロンドンの美術学校、セント・マーティンズ・レーン・アカデミー(St Martin's Lane Academy)やロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの美術学校でポール・サンドビーから絵を学んだ。

1765年にロンドンの展覧会に出展し、1768年に風景画家、リチャード・ウィルソンが描いたイタリアのヴィッラ・アドリアーナの絵をもとに版画を制作し出版した。1770年にロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの準会員に選ばれた。1772年にロンドンのテンプル・バーの街景を描いた作品を出展し、書籍の挿絵も描いた。ジョージ・カーズリー(George Kearsley)が出版した「Copperplate Magazine」やその後に刊行された「The Virtuosi's Museum」といった雑誌の挿絵を制作し、オクスフォード大学の年鑑「Oxford Almanack」の表紙絵を制作した。

長くロンドンのヘイマーケット劇場の舞台美術を担当した[2]

1780年代の終わりから、ノーフォークサフォークサマセットウォリックシャーなどを旅して描いた建物のある風景画で知られている。ヘイマーケット劇場を解雇されてしばらくして、急死した。

有名な水彩画家、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775-1851)はルーカーの作品を高く評価していて、ルーカーの没後10点以上のルーカーの作品を購入していたとされる[3]

作品

脚注

  1. ^ Connor (1984)
  2. ^ a b Monkhouse, William Cosmo (1897). "Rooker, Michael" . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). 49. London: Smith, Elder & Co.
  3. ^ The Rooker family.

参考文献

  • Patrick Conner. Michael "Angelo" Rooker (British watercolours) (Tiger Books, illustrated ed. 1984).
  • Philip H. Highfill, Kalman A. Burnim, Edward A. Langhans. A biographical dictionary of actors, actresses, musicians, Volume 13 (Southern Illinois University Press, 1991) p88 ff.



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