ポール・ドレッシャーとは? わかりやすく解説

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ポール・ドレッシャー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/05 10:02 UTC 版)

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ポール・ドレッシャー
Paul Dresher
出生名 Paul Joseph Dresher
生誕 (1951-01-18) 1951年1月18日(70歳)
出身地 アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス
ジャンル ミニマル・ミュージック現代音楽
職業 作曲家、ミュージシャン
担当楽器 パーカッション、ガムラン、ギター、電子楽器
レーベル Lovely Music、New World、CRI、Music and Arts、O.O. Discs、BMG/Catalyst、MinMax、Starkland、New Albion

ポール・ドレッシャー[1]Paul Dresher1951年1月8日 - 、ロサンゼルス生まれ)は、アメリカ作曲家である。

ドレッシャーはカリフォルニア大学バークレー校で音楽の学士号を取得し、カリフォルニア大学サンディエゴ校で作曲の修士号を取得。ロバート・エリクソン、ロジャー・レイノルズポーリン・オリヴェロス、バーナード・ランズに師事した。

彼はまた、C. K.とKobla Ladzekpoにガーナの太鼓を、ニキル・バネルジーにヒンドゥスターニーの古典音楽を、そしてバリとジャワの音楽を学んだ。

ドレッシャーの音楽はミニマリスト、そしてポストミニマリストとしてさまざまに説明されている。ドレッシャー自身は、後者の表現(彼はかなり無意味だと感じている)をからかって、自分自身を「プレ・マキシマリスト」と呼んでおり、そのため彼のレコードレーベルには「MinMax」の名が付けられている。

ドレッシャーは1994年から2000年までアメリカン・ミュージック・センターの理事を務めた。

ドレシャーの作品の録音は、Lovely Music、New World、CRI、Music and Arts、O.O. Discs、BMG/Catalyst、MinMax、Starkland、New Albionといったレーベルから発表されている。

彼は2006年のグッゲンハイム・フェローの受給者であった[2]

ディスコグラフィ

リーダー・アルバム

  • Liquid And Stellar Music / This Same Temple (1981年)
  • The Way Of How (1981年)
  • Night Songs / Channels Passing (1984年、New Albion)
  • Opposites Attract (1991年、New World) ※with ネッド・ローゼンバーグ
  • Casa Vecchia (1995年、Starkland)
  • Cage Machine (2004年、New Albion)

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ ポール・ドレッサー」の表記もある。
  2. ^ Guggenheim Foundation 2006 Fellows”. John Simon Guggenheim Foundation (2006年). 2008年10月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年11月10日閲覧。

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