フリードリッヒ・フォン・ゲルトナーとは? わかりやすく解説

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フリードリッヒ・フォン・ゲルトナー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/04/07 19:52 UTC 版)

ゲルトナーの肖像画

フリードリヒ・フォン・ゲルトナー(Friedrich von Gärtner、1791年12月10日 - 1847年4月21日)はドイツ建築家

建築家の息子であり、ミュンヘン・アカデミーで学習した後、短い期間ヴァインプレンナーとともに働き、その後パリに渡りペルシエとフォンテーヌとともに働いた。

1805年-1807年の間はイタリアに、1818年-1820年はオランダと英国に滞在した。その後ミュンヘン・アカデミーで講座を持った。

1828年、イタリアへの二度めの旅行の際、バイエルンルートヴィヒ1世にみいだされ、次第に、レオ・フォン・クレンツェと並ぶ、王のお気に入りの建築家となった。ゲルトナーの特色はドイツ人のいうルントボーゲンシュテイル、すなわちイタリア・ロマネスクのあるいはイタリア1400年代様式であるところの円形アーチを用いた様式である。このポスト古典主義様式を好んだのは、ゲルトナーよりもむしろ王ルートヴィヒであるといわれる。

ミュンヘンではゲルトナーは1829年から1840年にかけて建てたルートヴィヒ教会(Ludwigskirche)、1840年の州立図書館、1835年から1840年にかけて建てた大学、といういずれもルートヴィヒ通りにある三つの建物を設計し、またこの通りの南端には、フィレンツェのロッジア・デイ・ランツイの模倣でありトスカーナ・ゴシック様式の試みでもある将校ホール(1840-1841)を建設した。1835年にはゲルトナーはアテネにおり、そこで新しいギリシャ王、すなわちルートヴィヒ1世の息子オソン1世の宮殿を設計した。

参考文献

  • K・Eggert、Friedrich von Gartner、Baumeister Konig Liduwings I 1993.




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