フェリー1世_(ヴォーデモン伯)とは? わかりやすく解説

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フェリー1世 (ヴォーデモン伯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/13 05:48 UTC 版)

フェリー1世
Ferry Ier de Vaudémont
ヴォーデモン伯
在位 1393年 - 1415年

出生 1368年
死去 1415年10月25日
配偶者 マルグリット・ド・ジョアンヴィル
子女 アントワーヌ
エリザベート
マルグリット
家名 シャトノワ家
父親 ロレーヌ公ジャン1世
母親 ゾフィー・フォン・ヴュルテンベルク
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ヴォーデモン伯の紋章

フェリー1世フランス語:Ferry Ier de Vaudémont, 1368年 - 1415年10月25日)は、ロレーヌ公家の公子。フェリー5世ともいわれる。

生涯

家族

フェリー1世は、ロレーヌ公ジャン1世とゾフィー・フォン・ヴュルテンベルクの息子で、ロレーヌ公シャルル2世の弟であった。

1379年からバル公ロベール1世の娘ボンヌ・ド・バルとの結婚交渉が行われたが、1392年に破談に終わった。1393年にヴォーデモン伯アンリ5世・ド・ジョアンヴィルとマリー・ド・リュクサンブール=リニーの娘マルグリット・ド・ジョアンヴィル(1354年 - 1418年)と結婚した。2人の間には以下の3子が生まれた。

  • アントワーヌ(1397年 - 1456年) - ヴォーデモン伯、孫はロレーヌ公フェリー2世
  • エリザベート(1400年 - 1458年) - 1412年にナッサウ=ヴァイルブルク伯フィリップ1世と結婚
  • マルグリット - ティボー2世・ド・ブラモン(1431年没)と結婚

経歴

フェリー1世は、ボーヴ、ルミニー(マルティニーとオーバントンを含む)、フロレンヌ(ペッシュを含む)の領主であった(領地は父方の曾祖母でロレーヌ公ティボー2世の妻であるイザベル・ド・ルミニーに由来する)。結婚により、1392年から1415年までヴォーデモン伯およびジョアンヴィル領主となった。

1400年、兄のロレーヌ公シャルル2世とともにトゥール司教と争い、その後ブルゴーニュ家側についてオルレアン公と戦った。

フェリー1世は1409年4月から11月まで聖地へ巡礼し、帰国後フランス王シャルル6世の顧問となった。

フェリー1世は1415年10月25日にアジャンクールの戦いで戦死した。

参考文献

  • François, Michel (1935). Histoire des comtes et du comté de Vaudémont des origines à 1473. Nancy: Imprimeries A. Humblot et Cie , 459 p.
  • Poull, Georges (1991). La Maison ducale de Lorraine. Nancy: Presses universitaires de Nancy. ISBN 2-86480-517-0 , 575 p.
先代
マルグリット
ヴォーデモン伯
1393年 - 1415年
マルグリットと共治)
次代
アントワーヌ



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