ハーンカー・サラヒーヤ・モスクとは? わかりやすく解説

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ハーンカー・サラヒーヤ・モスク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/04 18:22 UTC 版)

ハーンカー・サラヒーヤ・モスク
オスマン朝
基本情報
所在地 エルサレム旧市街, キリスト教徒地区, エルサレム
宗教 イスラーム
建設
形式 モスク
様式 オスマン様式
ミナレット 1
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ハーンカー・サラヒーヤ・モスクは、聖墳墓教会の北側、エルサレム旧市街のキリスト教徒地区に位置する。

歴史

モスクはかつてエルサレム大司教御所があった場所にある。1187年のエルサレムにおける十字軍サラディンへの降伏後(それゆえサラヒーヤなのである)、御所はモスクになった。ミナレットは1417年建立である[1][2]

聖墳墓教会を挟む二モスク

聖墳墓教会を挟んで反対側にあるオマル・モスクは、ほぼ同一のミナレットを持っている[3] 2つのミナレットは明らかに対としてデザインされた。この2つのミナレットを結ぶ線は、聖墳墓教会の扉とイエスの墓(ロトンダ)を通り、2つのミナレットは聖墳墓教会の扉から等距離であり、そして元の地面の高さが異なるにもかかわらず、その頂点は正確に同じ高さとなっている[3][4]。マーフィー・オコーナーは、これをマムルーク朝支配者たちによる、聖墳墓の「無効化」かもしれないと提起している。なぜならイスラームにおける信念では、神がイエスを直接天に上げたことになっており、十字架上の死を支持するものではないからである[4]

ギャラリー

  1. ^ Winter, Dave & Matthews, John. Israel Handbook, p. 147. Footprint Travel Guides, 1999. ISBN 1-900949-48-2
  2. ^ Moudjir ed-dyn, 1876, p. 169
  3. ^ a b El Khanqah-Moschee in Jerusalem (German text and pictures at theologische-links.de)
  4. ^ a b Murphy-O’Connor, J. (2008). The Holy Land: An Oxford Archaeological Guide from Earliest Times to 1700. Oxford Archaeological Guides. Oxford: Oxford University Press. p. 62. ISBN 978-0-19-923666-4. https://books.google.com/books?id=cSuErBFmykQC&pg=PA62 2016年6月20日閲覧。 

参考文献

座標: 北緯31度46分43.68秒 東経35度13分45.53秒 / 北緯31.7788000度 東経35.2293139度 / 31.7788000; 35.2293139




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