ハーバード・シロシビン計画とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ハーバード・シロシビン計画の意味・解説 

ハーバード・シロシビン計画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 01:19 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
バラ窓。ハーバード・シロシビン計画のマーシュ礼拝堂の実験の舞台となった、ボストン大学のマーシュ礼拝堂の祭壇の上にある。

ハーバード・シロシビン計画 (Harvard Psilocybin Project) は、ティモシー・リアリーリチャード・アルパート英語版による一連の心理学の実験である。 この計画の創設メンバーは、オルダス・ハクスリー、ハーバード大学でのリアリーの上司のデイビッド・マクレランドフランク・バロン英語版ラルフ・メツナーメスカリンの計画に取り組んでいた2人の大学院生から成り立っていた[1]。実験は1960年中に開始され、1962年3月に、ハーバード・パーソナリティ研究センターの教授らが、内部会議で実験の正当性と安全性に懸念を提起するまで継続された。

こうした懸念が学内新聞の The Harvard Crimson (英語) に掲載され、公式な実験は打ち切られ、マサチューセッツ州保健局英語版による検査には合格せず、リアリーとアルパートは解雇された。

リアリーとアルパートによる実験は、彼らの個人的な発見と幻覚剤の擁護の一環であった。シロシビンや他の幻覚剤の使用は、再犯を減らすためのコンコード刑務所実験のように学術的に開かれたものから、頻繁な個人的な使用までに及んでいた。

マーシュ礼拝堂の実験はこの計画の活動の例であり、リアリーによる監督の元、ハーバード神学校英語版の大学院生によって実行された。ボストン地域の神学院生は、薬物が深遠な宗教的な体験を促すかを確かめるために設計された研究の一部として、シロシビンを投与され、10人中9人がそのような体験を報告した。実験におけるリアリーの積極的な参加と、ランダル・ラアッコ牧師(当時の神学生)への影響は、BBCの映像の一部にて描かれている[2]

当時は、メスカリンペヨーテ・サボテンだけが違法であった。LSDシロシビンが違法とされるまで5年がかかった。リアリーとアルパートがハーバード大学に対して挑戦的になるまで、学術的な人気者であったし、幻覚剤の使用に関しての彼らによる擁護が、彼らを1960年代の対抗文化英語版初期の重要人物にしたのであった。

ヒューストン・スミス英語版の最後の作品『知覚の扉を清める』 (Cleansing the Doors of Perception) には、ハーバード計画が、エンセオジェニック(幻覚剤に神聖さを込めた意味)な物質の気づきを真剣に、誠実に、慎重に提起することを目的とした、1960年代初期の活動だと記されている。スミスが参加したサブグループのメンバーにはリアリーは載せられていなかった。

出典

  1. ^ Stafford, Peter; Jeremy Bigwood (1993). Psychedelics Encyclopedia. Ronin Publishing. ISBN 0-914171-51-8 
  2. ^ Timothy Leary, LSD, & the Sacred Sacraments (Yoism) BBCの映像を紹介したサイト。

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ハーバード・シロシビン計画」の関連用語

ハーバード・シロシビン計画のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ハーバード・シロシビン計画のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのハーバード・シロシビン計画 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS