トーマス・ファーンリーとは? わかりやすく解説

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トーマス・ファーンリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/25 15:39 UTC 版)

トーマス・ファーンリー
Thomas Fearnley
作者不詳の肖像画
生誕 (1802-12-27) 1802年12月27日
ハルデン
死没 1842年1月16日(1842-01-16)(39歳)
ミュンヘン

トーマス・ファーンリー(Thomas Fearnley、1802年12月27日 - 1842年1月16日)はノルウェーの画家。ノルウェーなどの風景を描いた。

略歴

ノルウェー南部の町、Frederikshald(現在はハルデンの一部)で生まれた。父方の祖父はイギリスからノルウェーに移住した商人で、母親はテレマルクの裕福な商人の一族の出身であった[1][2]。弟のカール・フレデリク・ファーンリー(Carl Frederik Fearnley: 1818–1890)は天文学者になり、オスロ大学の教授になった。

1819年から1821年までオスロの工芸・芸術産業学校(Statens håndverks- og kunstindustriskole) で学び、1821年から1823年までデンマーク王立美術院で学び、1823年から1827年まで、スウェーデン王立美術院でスウェーデンの風景画家カール・ヨハン・ファールクランツに学んだ。

スウェーデンの王室や貴族から絵の注文を受けて、1824年ころからノルウェーを旅し風景画を描き、ヴェストランでロマン主義の画家ヨハン・クリスチャン・ダール(1788-1857)とも知り合った。1827年から1年ほどコペンハーゲンに滞在した後、ノルウェーに旅した。1829年からはドレスデンに移り、ドレスデンで活動をしていたダールのもとで修行した。ドレスデンではヨゼフ・ペツル(Joseph Petzl: 1803-1871)やヴェストファール(Friedrich Bernhard Westphal: 1803-1844)といった画家と交流した。1830年からはミュンヘンで活動した。[3]

1930年代はヨーロッパ各地を旅して風景を描き、1832年にヴェネツィア、ローマ、1833年にシチリアを訪れた。イタリア南部やスイスの風景を描き、1835年にはパリ、1836年にロンドンを訪れた。1839年にはドイツの画家、アンドレアス・アッヒェンバッハソグネ・フィヨルドなどノルウェーを旅した[3]

1840年に、パトロンの一人で、後にノルウェー有数の銀行の設立したNicolai Andresen (1781–1861)の娘 Cecilia Catharine Andresen (1817–1888)と結婚した。1841年にアムステルダムに移り、息子のトーマス・ニコライ・ファーンリー(Thomas Nicolay Fearnley: 1841–1927)が生まれた。息子は1869年に海運会社 Fearnley & Egerを設立し、ノルウェーの海運王となる人物である[4][5]

トーマス・ファーンリーは腸チフスのため1842年にミュンヘンで39歳で亡くなった。

作品

参考文献

  1. ^ Jon Gunnar Arntzen. “Fearnley”. Store norske leksikon. 2018年4月1日閲覧。
  2. ^ Gunnar Christie Wasberg and Kaare Petersen (eds.), Fearnley & Eger 1869–1969, Oslo, Dreyer, 1971
  3. ^ a b Sigurd Willoch. Thomas Fearnley Norsk kunstnerleksikon
  4. ^ Tore Kirkholt. Thomas Fearnley, norsk maler Store norske leksikon
  5. ^ Atle Thowsen. “Thomas Fearnley - 2”. Norsk biografisk leksikon.. 2018年4月1日閲覧。



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