トピカ・ゴールデンジャイアンツ (1887年)とは? わかりやすく解説

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トピカ・ゴールデンジャイアンツ (1887年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/04/26 05:12 UTC 版)

トピカ・ゴールデンジャイアンツ (Topeka Golden Giants) とはカンザス州トピカを本拠とした米国マイナーリーグ野球チーム。ウェスタンリーグに所属し、1887年の 1 シーズンのみ存続した。監督(Walt Goldsby、ウォルト・ゴールズビー)の名前をとってゴールズビーのゴールデンジャイアンツ (Goldsby's Golden Giants) とも呼ばれた。

ゴールデンジャイアンツはウェスタンリーグに所属した1年間に、90勝25敗(勝率7割8分5厘)で2位のリンカーン・ツリープランターズに15ゲーム差をつけてリーグ優勝した[1][2]。1887年4月10日には、当時のワールドシリーズチャンピオンだったセントルイス・ブラウンズ(現カージナルズ)とエキジビションゲームを行い12対9で勝利した[3]

1887 team photo

著名な選手

この時代のウェスタンリーグはマイナーリーグに分類されていたが、ゴールデンジャイアンツの選手のほとんどはメジャーリーガーだった。選手兼監督だったウォルト・ゴールズビーも1886年までメジャーリーグでプレー(1888年にはボルチモアオリオールズに復帰)した外野手だった。

一塁手のダン・スターンズはこのシーズンのリーグ最多安打を記録し、ジミー・マカラーは打率で首位を取った。スターンズとマカラーはいずれも1885年にボルチモアオリオールズでプレーしており、1882年にシンシナティレッドストッキングズが優勝したときも同じチームにいた。

他にも多数の選手がメジャー経験を持っていた:外野手のバグ・ホリデイは本塁打王になった。投手であるトム・サリバンはリーグトップの36勝をあげた。ジム・コンウェイ、ジョー・ガンソン、ジョー・アードナー、バスター・フーバーもメジャーリーガーだった[4]

脚注

  1. ^ Evans, Harold (1940). “Baseball in Kansas, 1867-1940”. Kansas Historical Quarterly. http://www.kancoll.org/khq/1940/40_2_evans.htm 2009年10月29日閲覧。. 
  2. ^ Madden, W.C.; Stewart, Patrick (2002). The Western League: A Baseball History, 1885 through 1999. ISBN 0-7864-1003-5. 
  3. ^ This Day in Kansas History
  4. ^ Topeka Baseball

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