スージー・バーニングとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > スージー・バーニングの意味・解説 

スージー・バーニング

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/03 01:33 UTC 版)

 スージー・バーニング 
Susie Berning
基本情報
名前 スージー・バーニング
生年月日 (1941-07-22) 1941年7月22日
没年月日 (2024-10-02) 2024年10月2日(83歳没)
身長 157センチメートル (5.15 ft)
出生地 アメリカ合衆国カリフォルニア州パサデナ
経歴
プロ転向 1964年
引退 1996年
以前のツアー LPGAツアー
プロ勝利数 13勝
優勝数
LPGAツアー 11勝
他ツアー 2勝
LPGAメジャー選手権最高成績
女子ウェスタン 優勝: 1965年
タイトルホルダーズ 13位: 1966年
ANA 38位タイ: 1984年
全米女子プロ 2位タイ: 1969年
全米女子OP 優勝: 1968年、1972年、1973年
デュモーリエ 25位タイ: 1984年
受賞
世界ゴルフ殿堂 2021 (member page)
LPGA新人賞 1964
殿堂表彰者
選出年 2022年
選出部門 女性競技者
テンプレートを表示

スージー・マクスウェル・バーニング(Susie Maxwell Berning、1941年7月22日 - 2024年10月2日)は、アメリカ合衆国の元女子プロゴルファー。1964年からLPGAツアーに参戦し、メジャー選手権4勝を含む通算11勝を挙げた。1964年から1968年までは旧姓のスージー・マクスウェルでプレーしていた。

経歴

アマチュア時代

カリフォルニア州パサデナで生まれる。13歳のときに家族と共にオクラホマ州オクラホマシティに転居。15歳でゴルフを始めると、3年連続オクラホマ州高校選手権で優勝した。また、1959年から1961年までオクラホマシティ女子アマチュアを獲得。1963年にはオクラホマ州女子アマチュアで勝利。オクラホマシティ大学英語版からゴルフ奨学金を受け取り、男子チームで競い合った最初の女性であり、アルファ・ファイ・ソロリティのメンバーであった。

プロ転向後

プロ転向後1964年からLPGAツアーに参戦、LPGAルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得した。1965年、マスコギー・シヴィタン・オープン英語版で初勝利を収めた。ツアーで通算11回優勝、特にメジャー選手権に強く、1965年の女子ウェスタンオープンと1968年、1972年、1973年の全米女子オープンを制した。しかし、20代後半からフォームが安定せず、マネーランキングのトップ10に入ったのは1969年が最後であった。常にフルタイムでプレーはしなかったが、長年ツアーに留まり1995年には13大会でプレーした。最後のツアー参戦は1996年であった。

ツアー引退後はニコラス・フリック・ゴルフ・アカデミー、後にはカリフォルニア州パーム・スプリングスのリザーブ・クラブとコロラド州アスペンのマルーン・クリーク・カントリー・クラブで後進の指導にあたり、尊敬を集める指導者となった。彼女にはロビン・ドクターとシンディ・モルチャニーという2人の娘がいる。

晩年

2021年に世界ゴルフ殿堂入り[1]

全米ゴルフ協会によると、2024年10月2日に死去した[2]。83歳没。

プロ戦績

LPGAツアー (11勝)

凡例
LPGAツアー メジャー選手権 (4勝)
その他のLPGAツアー (7勝)
No. 日付 トーナメント スコア ストローク差 2位の選手
1 1965年5月16日 マスコギー・シヴィタン・オープン英語版 −3 (71-72-70=213) 5打差 キャシー・コーネリアス
ジュディ・キンボール英語版
ミッキー・ライト
2 1965年6月13日 女子ウェスタンオープン −2 (73-72-76-69=290) 3打差 マリーン・ヘギー
3 1967年4月2日 ルイーズ・サグス・インビテーショナル英語版 +8 (75-72-77=224) プレーオフ サンドラ・ヘイニー
4 1967年6月18日 ミルウォーキージェイシーオープン英語版 E (68-73-75=216) 5打差 バーバラ・ロマック英語版
ジュディ・キンボール
ジュディ・ランキン
ペギー・ウィルソン英語版
5 1968年7月7日 全米女子オープン +5 (69-73-76-71=289) 3打差 ミッキー・ライト
6 1969年6月8日 レディ・カーリング・オープン −6 (69-74-70=213) 1打差 ドナ・カポニ
7 1969年6月22日 パブスト・レディース・クラシック −5 (69-71-71=211) 1 stroke ドナ・カポニ
クリフォード・アン・クリード英語版
シャーリー・エングルホーン
8 1972年7月2日 全米女子オープン +11 (79-76-73-71=299) 1打差 キャシー・アハーン
パム・バーネット英語版
ジュディ・ランキン
9 1973年6月24日 ヘリテージ・ヴィレッジ・オープン英語版 −12 (68-70-69=207) 4打差 サンドラ・ヘイニー
10 1973年7月22日 全米女子オープン −3 (73-77-69-72=290) 5打差 グロリア・エーレット
シェリー・ハムリン英語版
11 1976年7月25日 レディー・キーストーン・オープン英語版 −1 (72-71-72=215) 3打差 パット・ブラッドリー
サンドラ・ヘイニー

LPGAツアー プレーオフの記録 (1勝1敗)

No. トーナメント 対戦相手 結果
1 1966年 レディ・カーリング・オープン クリフォード・アン・クリード英語版 1ホール目相手のバーディーにより敗退
2 1967年 ルイーズ・サグス・インビテーショナル英語版 サンドラ・ヘイニー 2ホール目バーディーで勝利

その他の勝利 (2勝)

  • 1975年: レディー・キーストーン・オープン英語版
  • 1997年: スプリント・シニア・チャレンジ

メジャー選手権

勝利 (4勝)

選手権 スコア ストローク差 2位の選手
1965年 女子ウェスタンオープン −2 (73-72-76-69=290) 3打差 マリーン・ヘギー
1968年 全米女子オープン +5 (69-73-76-71=289) 3打差 ミッキー・ライト
1972年 全米女子オープン +11 (79-73-76-71=299) 1打差 キャシー・アハーン
パム・バーネット英語版
ジュディ・ランキン
1973年 全米女子オープン +2 (72-77-69-72=290) 5打差 グロリア・エーレット
シェリー・ハムリン英語版

脚注

  1. ^ “Susie Maxwell Berning elected to World Golf Hall of Fame”. ESPN. Associated Press. (2020年4月22日). https://www.espn.com/golf/story/_/id/29082377/susie-maxwell-berning-elected-world-golf-hall-fame 2021年6月16日閲覧。 
  2. ^ Shefte, David (2024年10月2日). "Susie Maxwell Berning, 3-time U.S. Women's Open Champion, Dies at 83" (Press release) (アメリカ英語). United States Golf Association. 2024年10月2日閲覧

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  スージー・バーニングのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「スージー・バーニング」の関連用語

スージー・バーニングのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



スージー・バーニングのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのスージー・バーニング (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS