グロリア・エーレット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/23 14:29 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動| Gloria Ehret | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 名前 | グロリア・エーレット |
| 生年月日 | 1941年8月23日(79歳) |
| 身長 | 173センチメートル (5.68 ft) |
| 経歴 | |
| 大学 | セント・ピーターズバーグ・ジュニア・カレッジ |
| プロ転向 | 1965年 |
| 以前のツアー | LPGAツアー |
| プロ勝利数 | 3勝 |
| 優勝数 | |
| LPGAツアー | 2勝 |
| 他ツアー | 1勝 |
| LPGAメジャー選手権最高成績 |
|
| 女子ウェスタン | 10位タイ: 1966年 |
| タイトルホルダーズ | 15位: 1966年 |
| 全米女子プロ | 優勝: 1966年 |
| 全米女子OP | 2位タイ: 1973年 |
グロリア・ジーン・エーレット(Gloria Jean Ehret、1941年8月23日 – )は、アメリカ合衆国の女子プロゴルファー。1966年全米女子プロゴルフ選手権の優勝で最も知られている[1]。
来歴
ペンシルベニア州アレンタウンで生まれ、セント・ピーターズバーグ・ジュニア・カレッジで学んだ。1965年にプロ転向。ルーキーシーズンに全米女子プロゴルフ選手権で5位に喰い込み、翌年優勝した。その後の6年間はツアーでの優勝に恵まれなかったが、1973年にバーミンガム・クラシックで優勝した[2]。LPGAツアーで最も賞金を稼いだのは1978年で42,470.60ドルを獲得し、賞金ランキング22位になり、2位または2位タイで3回フィニッシュした[3] 。
アマ戦績(4勝)
- 1963年: トライステート・アマチュア選手権
- 1964年: トライステート・アマチュア選手権、インターナショナル・フォーボール、コネチカット州アマチュア
プロ戦績
LPGAツアー(2勝)
| 凡例 |
| LPGAメジャー選手権 (1勝) |
| その他のLPGAツアー (1勝) |
| No. | 日付 | トーナメント | スコア | ストローク差 | 2位の選手 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 1966年9月25日 | 全米女子プロゴルフ選手権 | −2 (70-70-67-75=282) | 3打差 | |
| 2 | 1973年4月29日 | バーミンガム・クラシック | +1 (73-75-69=217) | プレーオフ |
LPGAツアー プレーオフの記録 (1勝4敗)
| No. | 年 | トーナメント | 対戦相手 | 結果 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 1966年 | グラス・シティ・クラシック | 3ホール目で敗退 | |
| 2 | 1972年 | ブルーグラス・インビテーショナル | 1ホール目で敗退 | |
| 3 | 1973年 | バーミンガム・クラシック | 1ホール目バーディーで勝利 | |
| 4 | 1974年 | ローソンズLPGAオープン | 4ホール目で敗退 | |
| 5 | 1978年 | ナチュラル・ライト・レディ・タラ・クラシック | コールズが3ホール目バーディーで勝利 ステーシーは1ホール目で脱落 |
その他の勝利 (1勝)
- 1965年: ヤンキー女子オープン(ジュディ・キンボールと)
メジャー選手権
勝利 (1勝)
| 年 | 選手権 | スコア | ストローク差 | 2位の選手 |
|---|---|---|---|---|
| 1966年 | 全米女子プロゴルフ選手権 | −2 (70-70-67-75=282) | 3打差 |
脚注
- ^ “Ehret captures LPGA crown”. The Calgary Herald (1966年9月26日). 2021年7月21日閲覧。
- ^ “Tournament results: Birmingham Classic”. Where2GOLF.com. 2021年4月21日閲覧。
- ^ “Gloria Ehret bio from LPGA Tour's official site”. 2010年1月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月21日閲覧。
外部リンク
- Gloria Ehret - 全米女子プロゴルフ協会のプロフィール (英語)
- グロリア・エーレットのページへのリンク