クトゥブッディーン・ハーン・コーカとは? わかりやすく解説

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クトゥブッディーン・ハーン・コーカ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/08/28 14:27 UTC 版)

クトゥブッディーン・ハーン・コーカ(Qutb-ud-Din Khan Koka, 生年不詳 - 1607年5月20日)は、北インドムガル帝国ベンガル太守クトゥブッディーン・コーカとも呼ばれる。

生涯

父はバダーウーンのシャイフザーダ、母はサリーム・チシュティーの娘であった。また、帝国の皇子サリーム(のちの皇帝ジャハーンギール)の乳兄弟であり、乳兄弟を意味する「コーカ」の称号を持った。

1606年9月2日、ジャハーンギールによりベンガル太守に任命される。だが、バルダマーンにいたシェール・アフガーン・ハーンはその権力に公然と反抗したため、両者は仲が悪くなっていった[1]

1607年5月20日、クトゥブッディーン・ハーンがシェール・アフガーン・ハーンのもとに赴いていさめようとした際、両者は口論となって、シェール・アフガーン・ハーンに剣で殺害されてしまった[1]。シェール・アフガーン・ハーンもまた、その場にいた衛兵に殺人者として処刑された[1]

脚注

  1. ^ a b c クロー『ムガル帝国の興亡』、p.165

参考文献

  • アンドレ・クロー; 杉村裕史訳 『ムガル帝国の興亡』 法政大学出版局、2001年 

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