ガイウス・ファビウス・ドルソ・リキヌスとは? わかりやすく解説

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ガイウス・ファビウス・ドルソ・リキヌス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/21 04:21 UTC 版)

ガイウス・ファビウス・ドルソ・リキヌス
C. Fabius M.f. M.n. Dorso Licinus
出生 不明
死没 紀元前273年
出身階級 パトリキ
氏族 ファビウス氏族
官職 執政官(紀元前273年)
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ガイウス・ファビウス・ドルソ・リキヌスラテン語: Gaius Fabius Dorso Licinus、- 紀元前273年)は紀元前3世紀初頭の共和政ローマの政治家・軍人。紀元前273年執政官(コンスル)を務めた。

出自

パトリキ(貴族)であるファビウス氏族の出身。父も祖父もプラエノーメン(第一名、個人名)はマルクスである。おそらく祖父は紀元前345年の執政官マルクス・ファビウス・ドルスオと思われる。紀元前246年の執政官マルクス・ファビウス・リキヌスは息子である。

経歴

紀元前273年、リキヌスは執政官に就任。同僚執政官はガイウス・クラウディウス・カニナであった[1]。任期中、両執政官はコサ(en)およびパエストゥム植民市を建設した[2]。また、プトレマイオス朝エジプトプトレマイオス2世に対して、クィントゥス・オグルニウス・ガッルス、クィントゥス・ファビウス・マクシムス・グルゲスおよびヌメリウス・ファビウス・ピクトルが外交使節として派遣されている[3]。プトレマイオス2世は、イタリア南部に野望を持っていたエペイロスピュロスの親戚でかつ同盟者であった。使節団はローマに戻った後、元老院に報告を行い、プトレマイオス2世からの贈答品を国庫に納めようとした。しかし元老院はこれを辞退し、使節が自身のものとすることを許した[4][5][6]

リキヌスは任期中に死亡した。しかし、補充執政官の選挙は行われなかった。

脚注

  1. ^ Caius Fabius Dorsuo Licinus. In: Der Neue Pauly (DNP). Volume 12/1, Metzler, Stuttgart 2002, ISBN 3-476-01482-7 , Pg. 1099.
  2. ^ ウェッレイウス・パテルクルス『ローマ世界の歴史』、1,14,7
  3. ^ リウィウスローマ建国史』、 XIV(概略)
  4. ^ ハリカルナッソスのディオニュシオス『ローマ古代誌』、XX, 14
  5. ^ ウァレリウス・マクシムス『有名言行録』、4.3.9.
  6. ^ エウトロピウス『首都創建以来の略史』、II 15

参考資料

関連項目

公職
先代:
マニウス・クリウス・デンタトゥス III
セルウィウス・コルネリウス・メレンダ
執政官
同僚:ガイウス・クラウディウス・カニナ
紀元前273年
次代:
ルキウス・パピリウス・クルソル II
スプリウス・カルウィリウス・マクシムス II



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