エドワード・エリオット (1722年没)とは? わかりやすく解説

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エドワード・エリオット (1722年没)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/14 03:41 UTC 版)

エドワード・エリオット英語: Edward Eliot1684年ごろ – 1722年9月18日)は、イギリスの政治家。庶民院議員を務めた。最初はトーリー党に所属したが、官職を得られなかったため1714年にホイッグ党に転じ、ジョージ1世の治世でコーンウォール公領歳入長官(receiver of the revenues of the Duchy of Cornwall、在任:1715年 – 1720年)と内国消費税徴税官(commissioner of excise、1720年 – 1722年)を務めた[1]

生涯

海軍軍人ウィリアム・エリオット(William Eliot、1694年7月2日以降没、ニコラス・エリオットの息子)と妻アン(Anne、旧姓ウィリアムズ(Williams)、1723年4月11日没、ローレンス・ウィリアムズの娘)の息子として[2]、1684年ごろに生まれた[3]。弟に庶民院議員リチャード・エリオットがいる[2]。1702年に親族ダニエル・エリオットの領地を継承した[3]。1703年3月9日、オックスフォード大学エクセター・カレッジに入学した[4]

1705年12月、セント・ジャーマンズ選挙区英語版の補欠選挙に出馬して、無投票で当選した[5]。以降1708年1710年1713年に再選した[5]。議会ではトーリー党の一員であり、1710年にヘンリー・サシェヴェラル英語版の弾劾裁判で反対票を投じた[3]。1710年から1714年まではトーリー党政権にもかかわらず求めていたコーンウォール公領歳入長官(receiver of the revenues of the Duchy of Cornwall)の官職を得られず、1714年3月にはリチャード・スティール英語版の議会追放に反対票を投じるなど離反傾向がみられ、同年にジョージ1世が即位してホイッグ党が政権を握るとエリオットはホイッグ党に転じた[3]

1715年イギリス総選挙では出馬しなかったが、自身の懐中選挙区であるセント・ジャーマンズ選挙区で与党候補を当選させたため、同年3月にコーンウォール公領歳入長官に任命された[1]。1718年11月に政府の支持を受けてロストウィシエル選挙区英語版の補欠選挙で当選すると、1719年に便宜的国教徒禁止法教会分裂阻止法英語版の廃止法案に賛成票を投じ、同年の貴族法案英語版にも賛成票を投じた[1][6]。1720年にコーンウォール歳入長官を退任したほか、同年6月に内国消費税徴税官(commissioner of excise)の1人に任命されたため、庶民院議員を辞任した[1]

1722年4月、総選挙出馬のために消費税徴税官を辞任した[1]。この総選挙ではかねてより影響力を拡大していたリスカード選挙区英語版で当選したが[7]、その5か月後の1722年9月18日に死去、29日にセント・ジャーマンズで埋葬された[2]

家族

スーザン・コリトン(Susan Coryton、1714年1月4日埋葬、第3代準男爵サー・ウィリアム・コリトンの娘)と結婚したが、2人の間に子供はいなかった[2]

1718年4月、エリザベス・クラッグス(Elizabeth Graggs、1695年ごろ – 1765年4月25日、郵政長官ジェームズ・クラッグスの娘)と再婚、1男1女をもうけた[2]

  • ジェームズ(1718年ごろ – 1742年11月24日[2]
  • エリザベス(1722年7月9日 – 1723年1月24日埋葬[2]

出典

  1. ^ a b c d e Cruickshanks, Eveline (1970). "ELIOT, Edward (?1684-1722), of Port Eliot, nr. St. Germans, Cornw.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年4月23日閲覧
  2. ^ a b c d e f g Crisp, Frederick Arthur, ed. (1919). Visitation of England and Wales (英語). Vol. 13. p. 126.
  3. ^ a b c d Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (2002). "ELIOT, Edward (c.1684-1722), of Port Eliot, Cornw.". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年4月23日閲覧
  4. ^ Foster, Joseph, ed. (1891). "Eade-Eyton". Alumni Oxonienses 1500-1714 (英語). Oxford: University of Oxford. pp. 440–479.
  5. ^ a b Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (2002). "St. Germans". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年4月23日閲覧
  6. ^ Cruickshanks, Eveline (1970). "Lostwithiel". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年4月23日閲覧
  7. ^ Cruickshanks, Eveline (1970). "Liskeard". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年4月23日閲覧
イングランド議会 (en
先代
サミュエル・ロール
ヘンリー・フレミング英語版
庶民院議員(セント・ジャーマンズ選挙区英語版選出)
1705年 – 1707年
同職:ヘンリー・フレミング英語版
次代
グレートブリテン議会
グレートブリテン議会英語版
先代
イングランド議会
庶民院議員(セント・ジャーマンズ選挙区英語版選出)
1707年 – 1715年
同職:ヘンリー・フレミング英語版 1707年 – 1708年
フランシス・スコベル 1708年 – 1710年
ジョン・ナイト英語版 1710年 – 1715年
次代
ウォーラー・ベーコン英語版
ジョン・ナイト英語版
先代
ガルフリダス・ウォルポール英語版
トマス・リデル
庶民院議員(ロストウィシエル選挙区英語版選出)
1718年 – 1720年
同職:ガルフリダス・ウォルポール英語版
次代
ガルフリダス・ウォルポール英語版
ジョン・ニューシャム
先代
フィリップ・ラッシュリー英語版
サー・ジョン・トレローニー準男爵英語版
庶民院議員(リスカード選挙区英語版選出)
1722年
同職:ジョン・ランズデル
次代
トマス・クラッターバック英語版
ジョン・ランズデル



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