エディー・ジョンソン (1959年生のバスケットボール選手)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > エディー・ジョンソン (1959年生のバスケットボール選手)の意味・解説 

エディー・ジョンソン (1959年生のバスケットボール選手)

(エディー・ジョンソン (1959年生まれ) から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/25 14:28 UTC 版)

エディ・ジョンソン
Eddie Johnson
引退
ポジション SF
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
生年月日 (1959-05-01) 1959年5月1日(63歳)
出身地 イリノイ州シカゴ
身長(現役時) 201cm (6 ft 7 in)
体重(現役時) 98kg (216 lb)
キャリア情報
ドラフト 1981年 2巡目(全体29位)
選手経歴
1981-1987
1987-1990
1990-1993
1993-1994
1994-1995
1995-1997
1997-1999
カンザスシティ・キングス
フェニックス・サンズ
シアトル・スーパーソニックス
シャーロット・ホーネッツ
オリンピアコスBC
インディアナ・ペイサーズ
ヒューストン・ロケッツ
受賞歴
Stats  Basketball-Reference.com
Stats  NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten

エディ・ジョンソン(Eddie Johson 1959年5月1日- )はイリノイ州シカゴ出身のバスケットボール選手。ポジションはスモールフォワードNBAで1199試合に出場し、歴代22位の19,202得点を記録しながら、NBAオールスターゲームに1度も選ばれなかったことで知られている。

経歴

プロ入り前

高校時代からシュートの名手として知られ、身長が6フィート7インチ(201センチ)あったジョンソンは、イリノイ大学に進学。1991年のドラフト会議で、全体29位でカンザスシティ・キングス(現サクラメント・キングス)に入団した。

NBA時代初期

ルーキーイヤーの1981-1982シーズンからいきなり74試合に出場。翌年からはレギュラーを獲得し、1983-84シーズン1984-1985シーズンには82試合にフル出場。それ以後は先発出場が減ったが、シュート技術を生かし、シックスマンとして活動。1987-1988シーズンにはフェニックス・サンズに移籍。73試合で59試合に先発出場したものの、翌1988-1989シーズンは再び控えに回る。しかし、控えながらも70試合に出場。3ポイントシュート成功率は40.3%とし、シックスマン賞を受賞した。その後も主にシックスマンとして安定した成績を残し続けたが、1989-1990シーズン途中にシアトル・スーパーソニックスにトレードされ、1993-1994シーズンにはシャーロット・ホーネッツへ移籍。1年後にはヨーロッパの強豪、ギリシャA1バスケットボールリーグオリンピアコスBCに移籍した。

ギリシャ時代

ギリシャでもジョンソンのシュート技術は冴えわたり、特に驚異的とまで言われた3ポイントシュートでカルトなファンの注目を集めた。ジョンソンのギリシャ時代のハイライトは、ユーロリーグファイナル4の、同じギリシャのライバルであるパナシナイコスとの対戦である。試合は残り一分の時点でオリンピアコスが負けていたが、残り一分でジョンソンは4本もの3ポイントシュートを決め、58-52で逆転勝利を収めた。しかし、決勝ではスペインFCバルセロナに敗れた。さらにギリシャリーグのプレーオフでは、優勝が決定する第5戦を45-44という僅差で勝利し優勝を決めた(観戦していて、興奮のあまり心臓発作を起こした観客もいたという)。25試合の出場で、1試合平均21.1得点、4.9リバウンドでシーズンを終えた。

NBA復帰

1995-1996シーズン、ジョンソンはインディアナ・ペイサーズと契約し、NBAに復帰を果たした。65試合に出場したものの、翌シーズン途中にヒューストン・ロケッツに移籍、2シーズンをロケッツで過ごし、現役を引退した。

引退後

引退後はアリゾナFOXで解説者をつとめ、フェニックス・サンズアリゾナ州立大学の試合で解説をする傍ら、インターネットテレビでレギュラーを務めるなど、タレント業のような活動もしている。

エピソード

  • 引退後、そのシュート技術を生かし『エディ・ジョンソンのジャンプショットとオフェンシブスキル』という子供向けの教育ビデオに出演した。
  • NBAでは同時期に同姓同名のエディ・ジョンソン(こちらのジョンソンは1955年生まれで、本項のジョンソンより4歳年上)が活躍しており、後年、そのジョンソンが少女への強姦容疑で逮捕された際、一部メディアが二人のジョンソンを混同し、大きな混乱が起こった。

外部リンク

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「エディー・ジョンソン (1959年生のバスケットボール選手)」の関連用語

エディー・ジョンソン (1959年生のバスケットボール選手)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



エディー・ジョンソン (1959年生のバスケットボール選手)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのエディー・ジョンソン (1959年生のバスケットボール選手) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS