イヴァン・アレクサンドロヴィチ (リャザン公)とは? わかりやすく解説

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イヴァン・アレクサンドロヴィチ (リャザン公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/02/13 04:52 UTC 版)

イヴァン・アレクサンドロヴィチロシア語: Иван Александрович生没年不明)は、歴代リャザン大公のうちの一人である。その在位期間は兄弟[1]のヤロスラフ(ru)の死後(1343年)から、同じく兄弟[2]ヴァシリーが公位に就いた年(不詳)までの間であった。また同時に、1344年から1351年にはプロンスク公でもあった。

一説によれば、リャザン公ヤロスラフ(ru)(上記のヤロスラフとは別人)の子のアレクサンドルの子であるとされる[1]。また別の説では、プロンスク公ミハイル(ru)の子のアレクサンドルの子であるとされる[2]

[1]のオレグ(ru)はリャザン大公(在位:1349年 - 1402年)としてジョチ・ウルスから独立した人物であり、リャザンの市章はオレグをモチーフとしている。

出典

  1. ^ a b c Происхождение князя Олега Ивановича Рязанского
  2. ^ a b Л.Войтович КНЯЗІВСЬКІ ДИНАСТІЇ СХІДНОЇ ЄВРОПИ



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