イサベル・アルフォンサ・デ・ボルボン=ドス・シシリアスとは? わかりやすく解説

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イサベル・アルフォンサ・デ・ボルボン=ドス・シシリアス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/19 17:35 UTC 版)

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イサベル・アルフォンサ
Isabel Alfonsa de Borbón-Dos Sicilias
ボルボーネ=シチリア家

全名
称号 スペイン王女(Infanta de España
出生 (1904-10-06) 1904年10月6日
スペイン王国マドリード
死去 (1985-07-18) 1985年7月18日(80歳没)
スペイン、マドリード
埋葬 スペインエル・エスコリアル修道院
配偶者 ヤン・カンティ・ザモイスキ
子女 カロル・アルフォンス
マリア・クリスティーナ
ユゼフ・ミハウ
マリア・テレサ
父親 カルロ・タンクレーディ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ
母親 マリア・デ・ラス・メルセデス・デ・ボルボーン・イ・アブスブルゴ=ロレナ
宗教 キリスト教カトリック教会
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イサベル・アルフォンサ・デ・ボルボン=ドス・シシリアス・イ・ボルボンスペイン語: Isabel Alfonsa de Borbón-Dos Sicilias y Borbón, 1904年10月6日 - 1985年7月18日)は、スペインの王族、スペイン王女(Infanta de España。結婚によりザモイスカ伯爵夫人を名乗った。スペイン王フアン・カルロス1世の母方の伯母にあたる。

生涯

両シチリア王家出身のカラブリア公カルロ・タンクレーディと、その最初の妻でスペイン王アルフォンソ12世の娘であるマリア・デ・ラス・メルセデスとの間の第3子、長女として生まれた。母はイサベルを出産した際に死去し、父は1907年にルイーズ・ドルレアンと再婚した。叔父のスペイン王アルフォンソ13世の特旨により、スペイン王家の外孫でありながら、スペイン王女の称号を授けられている。

1929年3月9日にマドリードにおいて、父方の祖母マリーア・アントニエッタの甥にあたるポーランド人貴族のヤン・カンティ・ザモイスキ伯爵(Jan Kanty Zamoyski, 1900年 - 1961年)と結婚し、間にカロル・アルフォンス(1930年 - 1979年)、マリア・クリスティーナ(1932年 - 1959年)、ユゼフ・ミハウ(1935年 - 2010年)、マリア・テレサ(1938年 - )の4人の子供をもうけた。結婚後はチェコスロヴァキアで暮らしていたが、1945年の赤軍の進駐に伴ってに母国へ亡命し、セビーリャ地方のバレンシーナ・デ・ラ・コンセプションに移住した。

1961年に未亡人となった後は修道院に隠棲し、1985年に死去すると、エル・エスコリアル修道院の王家の墓所に葬られた。

参考文献




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