イエセ1世 (ムフラニ公)とは? わかりやすく解説

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イエセ1世 (ムフラニ公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/29 07:43 UTC 版)

イエセ1世
იესე I

ムフラニ公
在位期間
1700年
先代 コンスタンティネ2世
次代 パプナ

死亡 1716年
家名 ムフラニ家グルジア語版
父親 アショタン2世
母親 アナ
子女
アショタン
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ムフラニ公イエセ1世グルジア語: იესე I მუხრანბატონიグルジア語ラテン翻字: Iese I Mukhranbatoni1716年没)は、カルトリ王国タヴァディグルジア語版(貴族)。バグラティオニ王家グルジア語版の分家ムフラニ家グルジア語版に属する。1700年頃にムフラニバトニ)を務め、内カルトリグルジア語版サルダリ(司令官)およびカルトリ宮廷のムサフルトゥフツェシ(宮内長官)を兼任したとされる。

生涯

イエセはムフラニ公アショタン2世の子として誕生。コンスタンティネ2世からムフラニ公位を継承した[1][2]

アトス山イヴィロン修道院英語版には、父アショタン2世が1680年に「イヴィロンの生神女」のイコンを安置するために建設した小さなドーム型礼拝堂があり、その内部に父アショタン2世とともに寄進者肖像画として描かれている。この礼拝堂は1683年に絵画で装飾された[3]

家族

アショタンという名の子がいたとされる[1][4]

脚注

  1. ^ a b Metreveli, Roin, ed. (2003). ბაგრატიონები. სამეცნიერო და კულტურული მემკვიდრეობა [Scientific and Cultural Heritage of the Bagrationis] (ジョージア語、英語). Tbilisi: Neostudia. p. Table 8. ISBN 99928-0-623-0.
  2. ^ Toumanoff, Cyrille (1990). Les dynasties de la Caucasie Chrétienne: de l'Antiquité jusqu'au XIXe siècle: tables généalogiques et chronologique [Dynasties of Christian Caucasia from Antiquity to the 19th century: genealogical and chronological tables] (フランス語). Rome. p. 556.{{cite book2}}: CS1メンテナンス: publisherのないlocation (カテゴリ)
  3. ^ დავითაშვილი, სოფიო. “ორი აშოთან მუხრანბატონის მოღვაწეობის კვალი ათონის წმ.მთაზე” (グルジア語). 2025年6月21日閲覧.
  4. ^ Cyril Toumanoff. Manuel de généalogie et de chronologie pour l'histoire de la Caucasie chrétien (Arménie - Géorgie - Albanie). pp. 143–144.



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