アンハルト=アッシャースレーベンとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > アンハルト=アッシャースレーベンの意味・解説 

アンハルト=アッシャースレーベン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/28 01:03 UTC 版)

アンハルト=アッシャースレーベン侯領
Fürstentum Anhalt-Aschersleben
1252年 - 1315年
(国旗) (国章)

アンハルト=アッシャースレーベン(茶色上部)
首都 アッシャースレーベン
侯爵
1252年 - 1267年 ハインリヒ2世
1304年 - 1315年 オットー2世
変遷
アンハルトから分離 1252年
ハルバーシュタット司教により占領 1315年
司教座の世俗化によりブランデンブルクの領有となる 1648年

アンハルト=アッシャースレーベン侯領(Fürstentum Anhalt-Aschersleben)は、現在のザクセン=アンハルト州のアッシャースレーベンに居を構えたアスカン家が統治した神聖ローマ帝国の侯領の一つ。1252年から1315年にかけてアンハルト侯領の一部として成立した。

歴史

1252年にアンハルト侯領が分割され、アンハルト=アッシャースレーベン、アンハルト=ベルンブルクアンハルト=ツェルプストの各侯領が創設された。ハインリヒ1世の長男ハインリヒ2世は[1]、1244年より父親の共同統治者であった。分割の過程で、ハインリヒ2世はハルツ山脈の北、アッシャースレーベンに居を構え、1266年にアッシャースレーベンに都市特権を与えた。

1315年にハインリヒの孫オットー2世が男子相続人を残さずに亡くなると、首都アッシャースレーベンを含む侯領はオットー2世の父の従兄弟で債権者のハルバーシュタット司教アルブレヒトにより領地として接収された[2]。1年後、アンハルト=ベルンブルク公ベルンハルト2世はハルバーシュタットの領有を認めたが、アッシャースレーベンはベルンハルト2世の後継者とハルバーシュタット司教の間でしばしば紛争の原因となった。それにもかかわらず、司教区の一部にとどまり、1648年にハルバーシュタット侯領として世俗化され、アンハルト=アッシャースレーベンを含む領地はブランデンブルク=プロイセンに与えられた。

歴代侯爵

  • ハインリヒ2世(1252年 - 1266年)
  • オットー1世(1266年 - 1304年)
    • ハインリヒ3世(1266年 - 1283年) - 共同統治
  • オットー2世(1304年 - 1315年)

脚注

  1. ^ Benjamin Arnold (29 January 2004) (English) (Paperback). Princes and Territories in Medieval Germany. Cambridge University Press. p. 36. ISBN 9780521521482. https://books.google.com/books?id=n3A4Sg3Q7PMC&dq=Anhalt-Aschersleben&pg=PA286 
  2. ^ Jan Gyllenbok (25 April 2018) (English) (Ebook). Encyclopaedia of Historical Metrology, Weights, and Measures Volume 2. Springer International Publishing. p. 1146. ISBN 9783319666914. https://books.google.com/books?id=X0VYDwAAQBAJ&dq=Anhalt-Aschersleben&pg=PA1146 
アッシャースレーベン



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  アンハルト=アッシャースレーベンのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アンハルト=アッシャースレーベン」の関連用語

アンハルト=アッシャースレーベンのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アンハルト=アッシャースレーベンのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアンハルト=アッシャースレーベン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS